2009年04月01日
沖縄情報市場
沖縄情報市場(おきなわじょうほういちば)は、NHK沖縄放送局が
2006年度に平日17:30~18:58:55に放送していた地域情報番組。
18時のNHKニュースを挟んで、第1部の「おもろてれぐすく」と第2部
の「ハイサイ!てれびすかす」とに分かれている。大相撲中継や高校
野球・国会中継などで「おもろてれぐすく」が中止になることもある。
2006年3月までは、同じ枠で17:10~18:58:55に、「太陽(てぃだ)
カンカンワイド」が放送されていた。その後継番組として位置づけら
れているが、17:30までは、東京制作の「ゆうどきネットワーク」が
放送されるようになったこともあり、従前のような編成を組むことが
難しくなった。
そのため、報道の部分とバラエティの部分を分離しての編成となった。
実は、首都圏地域でも茨城県のデジタル放送を除き同様のスタイル
となっている。
「太陽カンカンワイド」と比べ、アナウンサーや局採用キャスターに
よる進行が目立ち、地元出身のタレントは週1回出演の前原絵理を
除いてレギュラー起用されていない。
なお、「おもろてれぐすく」は2007年3月9日に終了、2007年度は
「ゆうどきネットワーク」全国パート垂れ流しとなったため、
「沖縄情報市場」枠は消滅となった。
ウィキペディアより
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2006年度に平日17:30~18:58:55に放送していた地域情報番組。
18時のNHKニュースを挟んで、第1部の「おもろてれぐすく」と第2部
の「ハイサイ!てれびすかす」とに分かれている。大相撲中継や高校
野球・国会中継などで「おもろてれぐすく」が中止になることもある。
2006年3月までは、同じ枠で17:10~18:58:55に、「太陽(てぃだ)
カンカンワイド」が放送されていた。その後継番組として位置づけら
れているが、17:30までは、東京制作の「ゆうどきネットワーク」が
放送されるようになったこともあり、従前のような編成を組むことが
難しくなった。
そのため、報道の部分とバラエティの部分を分離しての編成となった。
実は、首都圏地域でも茨城県のデジタル放送を除き同様のスタイル
となっている。
「太陽カンカンワイド」と比べ、アナウンサーや局採用キャスターに
よる進行が目立ち、地元出身のタレントは週1回出演の前原絵理を
除いてレギュラー起用されていない。
なお、「おもろてれぐすく」は2007年3月9日に終了、2007年度は
「ゆうどきネットワーク」全国パート垂れ流しとなったため、
「沖縄情報市場」枠は消滅となった。
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タグ :沖縄情報市場
2009年04月01日
那覇ハーリー
那覇ハーリー(なはハーリー)は、沖縄県那覇市で毎年ゴールデンウィーク後半の3日間に行われる行事で、規模は数ある県内の行事でも最大規模である。 海上での競漕とあわせて、陸では3日間を通じて多彩な催し物がある。ハーリイベント開催中の3日間は、花火が打ちあがられることになっている。
ハーリーは約600年前に中国から伝わったとされており、爬竜船(はりゅうせん)を漕ぎ競い合うことで漁の安全や豊漁を祈願するものである。那覇以外の沖縄各地(八重山を含む)でも行われており、本来の実施日である旧暦5月4日に開催される事が多い。
また、この模様は沖縄テレビで生中継される(同局も主催者であるため)。
概要 [編集]
主催:那覇ハーリー実行委員会
開催場所:那覇港・新港埠頭
開催日:ゴールデンウィークに重なる3日間
開催回数:31回(2005年度現在)
来場者数:約22万3千人(第31回)
主なイベント [編集]
オープニングセレモニー
沖縄テレビ制作のテレビ中継・テレビの公開録画
県内出身者による音楽ライブ
スポーツ大会
子供ショー
船の乗船体験
中学生・PTA・一般競漕(1日目)
一般競漕(2日目)
御願バーリー・本バーリー(3日目)
音と光のファンタジー(花火・3日連続)
ウィキペディアより
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ハーリーは約600年前に中国から伝わったとされており、爬竜船(はりゅうせん)を漕ぎ競い合うことで漁の安全や豊漁を祈願するものである。那覇以外の沖縄各地(八重山を含む)でも行われており、本来の実施日である旧暦5月4日に開催される事が多い。
また、この模様は沖縄テレビで生中継される(同局も主催者であるため)。
概要 [編集]
主催:那覇ハーリー実行委員会
開催場所:那覇港・新港埠頭
開催日:ゴールデンウィークに重なる3日間
開催回数:31回(2005年度現在)
来場者数:約22万3千人(第31回)
主なイベント [編集]
オープニングセレモニー
沖縄テレビ制作のテレビ中継・テレビの公開録画
県内出身者による音楽ライブ
スポーツ大会
子供ショー
船の乗船体験
中学生・PTA・一般競漕(1日目)
一般競漕(2日目)
御願バーリー・本バーリー(3日目)
音と光のファンタジー(花火・3日連続)
ウィキペディアより
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タグ :那覇ハーリー
2009年04月01日
沖縄県
沖縄県(おきなわけん)は、日本の南西部、かつ最西端に
位置する都道府県である。県庁所在地は那覇市。
概要
日本列島の南、南西諸島の内琉球諸島を占める地域である。気候は大部分の地域で亜熱帯に属し、八重山列島・多良間島では最寒月平均気温が18℃以上の熱帯に属する。
歴史的には、明治時代の琉球処分まで、日清両属の琉球王国であった。その為、他の都道府県とは異なる文化・習俗が根付いており、これらを生かした観光産業が盛んである。また、国内有数の長寿地域としても知られ、その食生活等が注目を浴びる反面、戦後のアメリカ統治時代に根付いた食文化が深く浸透しているため、沖縄県の平均寿命は変動しており、男子では全国長寿県ランキングが落ちてきている。
太平洋戦争では地上戦(沖縄戦)の末米軍が占拠したことから、1972年まで一貫してアメリカ軍の施政権下に置かれた。復帰後の現在でも多くの米軍基地が存在しており、重要な政治問題となっている。
地理
沖縄県本県は49の有人島と多数の無人島からなる。0.01km²以上の面積を持つ島は160島ある。最東端から最西端までは約1,000Km、最北端から最南端までは約400Kmと、広大な県域を持つ。
最北端 硫黄鳥島(久米島町)
最南端 波照間島(竹富町)
最東端 北大東島(北大東村)
最西端 与那国島(与那国町)
全国で唯一、一級河川のない都道府県である。
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。その為、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
県庁所在地である那覇市の1,000Km圏内には台北、福岡、上海、福州、1,500Km圏内には大阪、ソウル、マニラ、香港等があり、東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。
沖縄本島の中部・南部は那覇市・沖縄市を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している。(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)
本島南端の糸満市周辺は沖縄戦の激戦地であり、ひめゆりの塔等を含む地域が沖縄戦跡国定公園に指定されている。
( 慰霊の日も参照 )
亜熱帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原(やんばる)と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がる他、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、日本の環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、54ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで全国で2番目に多い。
2005年〜2007年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れ等が相次いだ。
平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流れてしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥り易い。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[1][2]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。その為、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、2005年に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
「地震大国」と言われる日本において、九州などと同じく一年あたりの(有感)地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関するリスクが少ない地域のひとつとされていた(地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が全国で唯一「0.7」の県となっているが、この値は後年見直される可能性もある)。しかし、損害保険料率算出機構の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。
人口密度は全国で第9位で、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に多い。
通常は九州地方とは独立して扱われるが、官公庁や企業の管轄地域などで九州地方に含まれる場合もある。九州#「九州」の由来を参照のこと。
気候は沖縄諸島(沖大東島を除く)・宮古列島(多良間島を除く)・尖閣諸島では亜熱帯性で温帯に属し、八重山列島・多良間島・沖大東島では熱帯性気候で熱帯雨林気候である。沖縄県各地方共高温多湿で年間降水量は2,000ミリメートル以上。年間平均気温は摂氏約22度前後。 また沖縄地方は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。
1977年(昭和52年)2月17日に、久米島にある測候所で初めて雪が観測された。(実際にはみぞれであるが、分類上は雪と同じ扱いとして記録される。)これは、沖縄県で唯一、気象庁が公式に発表した降雪記録であると同時に、日本における降雪の南限記録となった。[1]
歴史
沖縄県の歴史、沖縄県の年表、およびアメリカ合衆国による沖縄統治も参照
1429年、尚巴志によって三山統一を果たし、琉球王国が成立。
1879年(明治12年)3月、琉球処分により沖縄県が設置された。
1945年(昭和20年)、沖縄戦により住民に多数の犠牲者が出る。その後、アメリカの統治下に入る。
1972年(昭和47年)5月15日、日本に復帰した。27年間、アメリカの統治下にあった。
政治
知事
沖縄県知事一覧も参照
仲井眞弘多 - 2006年(平成18年)12月10日から現職。
議会
沖縄県議会も参照
定数 48人
任期 2008年6月25日 - 2012年6月24日
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年6月25日に行われたことによるためで、他の2都県(議会の解散)とは事情が異なる。
人口
合計特殊出生率・自然増加率・14歳以下の人口の割合は全国一高い。
2005年現在、全国で唯一、年少人口が老年人口を上回っている県である。
有形文化財建造物
重要伝統的建造物群保存地区
渡名喜島 (渡名喜村)
竹富島 (竹富町)
文化
日本国内においては、独自色の文化を持つ。沖縄県の歴史・沖縄県の文化なども参照されたい。
宗教
琉球の信仰も参照
アニミズムを基本としており、本土の神道の原形に近いと言われている。琉球神道とも言われ、本土の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。
仏教はないことはなかったが、王族や一部の上層階級が信仰するのみで一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信者の数は本土に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、本土のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。
墓は自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする風習があったが、近年では保健所等の指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。
芸能等
沖縄音楽および BEGINも参照
独特の音階を持つ音楽がある。民謡は現在も盛んに歌われるほか、ポピュラー系の音楽ジャンルにも影響が大きい。
料理
沖縄料理も参照
仏教の影響が弱かったことから、本土のように肉食の禁忌がなかったため(牛肉のみ王府によって禁止)、豚肉料理が伝統的に発達しており、ヤギの肉を食べることもある。豚の血液を料理するチーイリチーは、沖縄県ならではのものといえる。食生活には北海道産の昆布がよく使われる。
ゴーヤー
チャンプルー
沖縄そば
泡盛
アバサー(ハリセンボン)
グルクン(県魚であり、県民には比較的多く食される)
その他、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。
タコライス
スパム
産業
水納ビーチ。沖縄県の観光産業において、ビーチは最も重要なものの一つで、多くの人々を魅了している。2003年度の県内総生産は約3兆5755億円(→県民経済計算)。一人あたり県民所得は全国最下位で、全国平均の70%である。失業率は全国一高い。
離島県であることから、生産できない生鮮食品・家電・自動車等、他県から移入する必要があるものは輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。しかし、本土の地方と比べて、特別物価が低くはなっていない。
産業別人口の割合では全国平均と比べて加工業を主とした第二次産業の比率が全国一低く、サービス業を主とする第三次産業の割合が東京都に次いで2番目に高いという特徴がある。
伝統・歴史・自然を生かした観光産業が盛んである。ただし、沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。
観光客数はで5,153,200人(2004年沖縄県調べ)である。訪れる外国人観光客は、台湾(75%)、米国(11%)、韓国(4%)、香港(2%)、中国(2%)という比率になっている(2002年[3])。米国からの観光客は、基地関係者が多く含まれる。
日本唯一の熱帯・亜熱帯性気候を生かし、マンゴー等のトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤーといった農作物が生産されている。また、ブリやクルマエビの養殖も盛んである[2]。
2000年にサミットの首脳会議が行われたのを切っ掛けに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。
1998年から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange 等の呼びかけを行ないコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行なっている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴なわないとして箱物行政といった話題も多い。
近年の石油需要・原油価格の高騰から植物資源を燃料に充てようというバイオエタノールが脚光を浴び、沖縄県が主な産出のサトウキビが選択肢の一つとして注目されている。
優遇税制・特例
経済振興のため、数々の特例が設けられている。
ガソリン税(本土より7円/リットル引き)や、沖縄自動車道の通行料金(本土より約4割引)などが軽減されている。
沖縄県発着の航空便に関しては、航空機燃料税が50%減免されているため、本土の同一距離路線に比べて5000円程度安く[4]、観光客誘致に寄与している。
観光においては、観光戻税制度、のちの特定免税店制度が他県にはない特徴的な優遇税制である。
酒税の軽減措置がある(→泡盛、オリオンビール参照)。
2002年(平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇(法人税の控除、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)と大地震等の災害の可能性の低さを理由に、幾つかの企業が特別地区への移動を行っている。
企業
県内では、本州等で展開している企業の地域会社が多数ある。
電気通信事業者でいえば、携帯電話のauのサービスを提供する地域会社、沖縄セルラー電話株式会社がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業なので、同社の過半数株式を所有するKDDIだけでなく沖縄電力、更には県内の財界人・有力企業も出資している。 沖縄県独自のサービスも展開し、県内ではNTTドコモを抑えダントツの加入率を誇る(2005年現在49%。政治決着によりドミナント規制対象外だったが、のちにau本体が対象となった)。
またアステルグループのPHSサービスを提供していた沖縄電力グループ、旧アステル沖縄を引継ぎ、2005年1月25日に事業を開始した株式会社ウィルコム沖縄がある。本州等でPHSサービスを提供する株式会社ウィルコム(旧DDIポケット)の子会社である。元はアステルと旧DDIポケットが県内で共同で事業を展開する予定だったが、アステルグループ他社の撤退等、「外部環境の変化」を理由にアステル沖縄が解散を決定。アステル親会社沖縄電力・旧DDIポケット共同出資のウィルコム沖縄を設立し、事業が譲渡されることになったのである。
また、通信業に限らず、ビール会社においても沖縄県で大きな市場占有率を持つオリオンビールが存在する(酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率であるが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため、独占禁止法に抵触しないとされる)。
また、新聞は輸送事情の関係で本土の全国紙は当日の朝に配送することが不可能なため(本土の夕刊の時刻に朝刊が届く状態)、沖縄タイムス、琉球新報が購読率の大半を占めている。
金融機関は、郵便局や県内の地方銀行がほとんどであり、都市銀行の支店については、宝くじ販売の関係でみずほ銀行那覇支店が唯一存在するのみである(このほかに三菱東京UFJ銀行が那覇に法人営業所を設置している)。
沖縄県に本社を置く主要企業
製造業
南西石油(西原町)
りゅうせき(浦添市)
沖縄コカ・コーラボトリング(浦添市)
オリオンビール(浦添市)
ヘリオス酒造(名護市)
琉球セメント(浦添市)
コーラルバイオテック(那覇市)
おっぱ乳業(今帰仁村)
沖縄製粉(那覇市)
沖縄ハム(読谷村)
小売業
サンエー(宜野湾市)
金秀商事(西原町)
琉球ジャスコ(南風原町)
沖縄ファミリーマート(那覇市)
電力
沖縄電力(浦添市)
情報通信業
沖縄セルラー電話(那覇市)
金融業
琉球銀行(那覇市)
沖縄銀行(那覇市)
沖縄海邦銀行(那覇市)
おきなわ証券(那覇市)
運輸
日本トランスオーシャン航空(那覇市)
沖縄岡崎運輸(那覇市)
建設
國場組(那覇市)
沖縄県に拠点事業所を置く主要企業
工場
日本鉄工(糸満市)
地域
1896年4月1日の郡制施行に伴い、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された。現在もその旧郡の境界を以って5地域(5地区)に分ける慣例が残っている。ただし、島尻郡が沖縄本島周囲の離島全てを含むかたちとなっているため、伊平屋島と伊是名島は旧島尻郡の中心の那覇から遠くなっており、航路で近い国頭郡の枠に入れる例が多い。
行政による地域区分では、旧郡による5地地域において中頭地区に入る浦添市を南部広域市町村圏に入れている。また、島尻郡の離島は別扱いとなる。
以下の11市・5郡・11町・19村がある。沖縄県では、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。
沖縄諸島
北部広域市町村圏
旧国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。旧郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。
名護市
国頭郡
国頭村 - 大宜味村 - 今帰仁村 - 本部町 - 恩納村 - 宜野座村 - 金武町 - 東村
伊江島(国頭郡) - 伊江村
伊平屋島(島尻郡) - 伊平屋村
伊是名島(島尻郡) - 伊是名村
中部広域市町村圏
旧中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。
沖縄市
うるま市
宜野湾市
中頭郡
北谷町 - 嘉手納町 - 西原町 - 読谷村 - 北中城村 - 中城村
南部広域市町村圏
沖縄本島にある旧島尻郡部分に浦添市を含めた範囲。以前は宜野湾市も中部ながら南部広域圏に属していた。また西原町も南部広域圏には属していないものの一部の事務組合には南部と合同になることもある。
浦添市
那覇市
豊見城市
糸満市
南城市
島尻郡
与那原町 - 南風原町 - 八重瀬町
離島
いずれも島尻郡、南部広域市町村圏に属しており、「南部離島」とも呼ばれる。
久米島-久米島町
慶良間諸島
渡嘉敷村 - 座間味村
粟国諸島
粟国島-粟国村
渡名喜島-渡名喜村
大東諸島
南大東村 - 北大東村
先島諸島
宮古支庁
旧宮古郡の範囲。
宮古島市
宮古郡
多良間村
(宮古諸島の主な島 - 宮古島、伊良部島、多良間島)
八重山支庁
旧八重山郡の範囲。
石垣市
八重山郡
竹富町 - 与那国町
(八重山諸島の主な島 - 石垣島、西表島、与那国島、波照間島、竹富島、小浜島、鳩間島、黒島)
市町村の面積と人口
沖縄県市町村の面積と人口を参照されたい。
米軍基地
主な米軍基地 - 嘉手納基地、普天間基地、キャンプハンセン
クリックすると大きな画像が表れます。(白黒)
教育
大学
国立
琉球大学(本部は西原町であるが、キャンパスの敷地は西原町、中城村及び宜野湾市の3市町村にまたがっている。)
※沖縄科学技術大学院大学(仮称)は、国頭郡恩納村にを設置が予定されている。
公立
沖縄県立看護大学(那覇市)
沖縄県立芸術大学(那覇市)
私立
沖縄大学(那覇市)
沖縄国際大学(宜野湾市)
沖縄キリスト教学院大学(西原町)
名桜大学(名護市)
短期大学
沖縄女子短期大学(那覇市)
沖縄キリスト教短期大学(西原町、沖縄キリスト教学院大学と併設。)
高等専門学校
国立
沖縄工業高等専門学校(名護市)
高等学校・中学校・小学校・幼稚園・その他の学校
以下の一覧記事を参照されたい。
沖縄県高等学校一覧
沖縄県小学校一覧
沖縄県中学校一覧
沖縄県幼稚園一覧
沖縄県特別支援学校一覧
沖縄県英語学校一覧
マスコミ
新聞
沖縄タイムス
琉球新報
以下先島諸島のローカル紙
八重山毎日新聞、八重山日報(八重山諸島)
宮古毎日新聞、宮古新報(宮古諸島)
全国紙
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞も当県に総・支局がある。
2008年11月1日より日経が琉球新報社の委託による現地印刷を開始。全国紙では唯一、朝夕刊とも地元紙と同時に配達。 その他の、読売、毎日、朝日は東京本社と西部本社で発行された物が両方販売、産経は大阪本社発行版が販売されている。 これらの一般紙は、いずれも発行地より空輸され、配達されるのは当日の午後になる。
スポーツ紙
スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が当県で現地印刷されているが、両紙とも本州などで発行される物とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないので公営競技面は掲載されていない。また番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニにおいて、東京本社版の各スポーツ紙が販売されている。発行日当日に空輸するため、価格は50円上乗せの180円となる。
放送
NHK沖縄放送局
琉球放送(RBC)(テレビ:JNN ラジオ:JRN)
沖縄テレビ放送(OTV)(FNN/FNS)
琉球朝日放送(QAB)(ANN)
ラジオ沖縄(ROK)(NRN)
エフエム沖縄(JFN)
AFN(在日米軍放送。本州・長崎県にある各局と違い、中波ラジオだけでなくテレビ、FMラジオでも番組を制作・配信)
※テレビジョンに関して
琉球朝日放送は先島諸島、大東諸島ではケーブルテレビを含めて受信不可。宮古、石垣の両島ではケーブルテレビの自主放送でテレビ朝日の番組を時差放送を行っているが、先島諸島のみ2009年4月1日にデジタル新局としてQABの中継局が設置される予定で、本島の開局から13年半でようやく視聴可能になる。
また大東諸島ではQAB以外の各テレビ局も受信できないため、関東広域圏で放送するNHK放送センター(衛星放送含む)、東京放送、フジテレビジョン、テレビ朝日を小笠原諸島中継所から衛星回線で放送し、沖縄県の話題は電話回線使用の字幕情報として伝えている(チャンネルについてはその項参照)。
また沖縄県には日本テレビ・テレビ東京系列の局がない(全国で唯一日本テレビ系列の放送対象地域外の都道府県でもある)。その為、同系列の番組の一部は県内の他系列放送局を通じて、その系列キー局のローカル枠で放送。南西放送が開局予定だったが取り消しになった。日本テレビ系列の番組のほとんどとテレビ東京系列の番組の一部について、沖縄本島北部の一部地域では、鹿児島讀賣テレビ(KYT)が高利得アンテナにより受信可能でそちらで見ることができるようである。
なお、日本テレビ系列の局のない沖縄県で、日本テレビのニュース取材を行うために、日本テレビ那覇支局がある。
近隣のテレビ局と豊見城市にある送信所の直線距離をさえぎるように沖縄県庁が建っているため、転送路を妨害しないように県庁の屋上部分が曲線的に窪ませてある。
なお、県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形・技術上などの問題もあり、県外民放の再配信はいっさい行われていない。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も県外民放はラジオを含めいっさい掲載されていない。
※AMラジオ局について
沖縄本島北部・先島諸島および大東諸島では夜間〜早朝を中心に近隣国の混信をまともに受け易いため、FM電波を使って中継放送が行われている。 沖縄本島周辺では夜間のみ関東〜九州のラジオ局が受信できるほか、本島北部の一部では昼間でもRKB毎日放送・南日本放送が受信できる。
※FMラジオ局について
FM沖縄は現在先島諸島、大東諸島では中継局がないので直接受信不可(なお宮古島では地元のコミュニティFM局が同局の一部の番組を放送)。NHK-FMは現在大東諸島では中継局がないので直接受信不可。
※コールサインについて
アメリカ合衆国の施政権下ではKSXXを用いていたが、本土復帰(1972年)以降はJOXXを用いている。
ケーブルテレビ
沖縄県のケーブルテレビ局(参照)
交通
空港
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があり、また、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。
鉄道路線
沖縄県の鉄道も参照
太平洋戦争前には沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が存在したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港〜首里間が開業した。
2006年に那覇〜名護間に鉄道を建設する構想が明らかになった。(国が一部負担する形となるため元国鉄のJRグループ各社か第三セクター(県運営・現在はこちらが有力視されている。)が建設・運営する形になるがまだ決まっていない。)
全都道府県の中で、唯一JR各社がいっさい乗り入れていない。国鉄時代も同様であった。ただし、鉄道小荷物は連絡運輸で取り扱っていた。[5](同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた琉球海運の駅である)
バス
鉄道が沖縄都市モノレール(ゆいレール)しか存在しない沖縄県では、陸路として現在もバスが主要交通機関として運行している。しかし、近年は自家用車の増加により年々利用客は減少見込みにある。また日本で唯一一般路線・高速路線・観光路線でJRバスが路線を置いていない都道府県である(国鉄バス時代も同様)。
一般乗合・一般貸切兼業
沖縄本島
琉球バス交通
沖縄バス
那覇バス
東陽バス
沖縄中央観光
宮古島
宮古協栄バス
八千代バス・タクシー
共和バス
八重山
東運輸
西表島交通
一般貸切専業
沖縄本島
中部観光バス
大東交通
ワールドトランス
平安座総合開発
沖宮観光バス
結
サクシードプランニング
美ら島
國和第一ハイヤー
翔陽
沖縄南観光
ハイウエイ沖縄
太陽交通
カリー観光
ロケーションファースト
アンドインディー
フジさくら観光
Island Limousines
タワダロケーションサービス
ダイトウ
沖縄ツーリスト
伊江島
伊江島観光バス
久米島
久米島交通
八重山
平田観光
かびら観光交通
トラベル派遣
竹富島交通
コハマ交通
ちゅら島交通
いりおもて観光
特定
沖縄本島
那覇空港グランドサービス
那覇バス
八重山
東運輸
かびら観光交通
沖縄総合事務局 運輸部 平成19年度 運輸要覧より一部抜粋
道路
本土復帰後、1978年7月29日までは、車輌は右側通行だった。730運動も参照のこと。
沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しい。沖縄県は、「都道府県別1km当たり渋滞損失額」で、三大都市圏の都府県に次いで損失額が大きい[6]。
高速道路
沖縄自動車道
那覇空港自動車道
一般国道
国道58号
国道329号
国道330号
国道331号
国道332号
国道390号
国道449号
国道505号
国道506号
国道507号
県道
沖縄県の県道一覧を参照。
港湾
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。石垣市の石垣港は、中華人民共和国と台湾との中継港として使われている。
重要港湾
那覇港
運天港
金武湾港
中城湾港
平良港
石垣港
沖縄県を舞台にした作品
マンガ
ヤマトの火(未完)、およびその改作であるヤマタイカ - 歴史伝奇ロマン
遥かなる甲子園 - 聾学校野球部が甲子園大会を目指す物語。実在した北城聾学校野球部で実際にあった話を元にしている。
カジムヌガタイ - 風が語る沖縄戦
秘拳伝キラ - 空手発祥の地・伝説としてのみ伝わる空手・南王手八神流を名乗る少年八神 雲(ヤガミ キラ)の巻き起こす本格格闘技巨編・らしい
ニライカナイ
クッキングパパ - 主役・荒岩一味の長男である荒岩まことが沖縄県の琉国大学(架空-琉球大学がモデルと思われる-)在学中。作中で沖縄県での生活・名所・沖縄料理・有名な飲食店の紹介を披露する。
アニメ
BLOOD+ - 沖縄市コザ地区を中心に設定
ストラトス・フォー - 日本で唯一民間ジェット機の航空訓練場がある下地島が舞台
文芸
椿説弓張月(曲亭馬琴)
水滴(目取真俊)
豚の報い(又吉栄喜)
カクテル・パーティー(大城立裕)
オキナワの少年(東峰夫)
あそびにいくヨ!(神野オキナ)
うらにわのかみさま(神野オキナ)
風車祭(池上永一)
映画
オキナワの少年
ナビィの恋
ホテルハイビスカス
パイナップルツアーズ
ソナチネ
ニライカナイからの手紙
ゴーヤーちゃんぷるー
メインテーマ
海燕ジョーの軌跡
ひめゆりの塔
恋戦 OKINAWA
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
さよならニッポン!
涙そうそう
ゴジラ対メカゴジラ
モスラ2 海底の大決戦
テレビドラマ
琉球の風
ちゅらさん(ロケ地:小浜島ほか)
Dr.コトー診療所(ロケ地:与那国島)
さとうきび畑の唄(ロケ地:石垣島ほか)
瑠璃の島(ロケ地:鳩間島)
本日も晴れ。異状なし(ロケ地:波照間島ほか)
コンピュータゲーム
いなか暮らし ~南の島の物語~(ビクターインタラクティブソフトウエア、沖縄の架空の島・久垣島が舞台)
卒業Vacation(毎日コミュニケーションズ、沖縄県に属する架空の島・鈴鳴島が舞台)
風雨来記2(フォグ)
提督の決断シリーズ(KOEI)
龍が如く3(セガ)
名字
詳細は沖縄県の名字を参照。
スポーツクラブ
Uリーグ沖縄(野球の独立リーグ、構想)
安仁屋ベースボールトライ
FC琉球(サッカーJFL)
沖縄かりゆしFC(サッカー九州社会人リーグ)
琉球ゴールデンキングス
2007-08年シーズンよりbjリーグに新規参入のプロバスケットボールチーム。
主なスポーツイベント
おきなわマラソン
宮古島トライアスロン
ツール・ド・おきなわ
NAHAマラソン
由来
「おきなわ」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。
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位置する都道府県である。県庁所在地は那覇市。
概要
日本列島の南、南西諸島の内琉球諸島を占める地域である。気候は大部分の地域で亜熱帯に属し、八重山列島・多良間島では最寒月平均気温が18℃以上の熱帯に属する。
歴史的には、明治時代の琉球処分まで、日清両属の琉球王国であった。その為、他の都道府県とは異なる文化・習俗が根付いており、これらを生かした観光産業が盛んである。また、国内有数の長寿地域としても知られ、その食生活等が注目を浴びる反面、戦後のアメリカ統治時代に根付いた食文化が深く浸透しているため、沖縄県の平均寿命は変動しており、男子では全国長寿県ランキングが落ちてきている。
太平洋戦争では地上戦(沖縄戦)の末米軍が占拠したことから、1972年まで一貫してアメリカ軍の施政権下に置かれた。復帰後の現在でも多くの米軍基地が存在しており、重要な政治問題となっている。
地理
沖縄県本県は49の有人島と多数の無人島からなる。0.01km²以上の面積を持つ島は160島ある。最東端から最西端までは約1,000Km、最北端から最南端までは約400Kmと、広大な県域を持つ。
最北端 硫黄鳥島(久米島町)
最南端 波照間島(竹富町)
最東端 北大東島(北大東村)
最西端 与那国島(与那国町)
全国で唯一、一級河川のない都道府県である。
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、病院がなく診療所のみという島も多い。その為、離島で治療できない急患患者の沖縄本島への空輸を陸上自衛隊や海上保安庁が行っている。なお、宮古島、石垣島には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
県庁所在地である那覇市の1,000Km圏内には台北、福岡、上海、福州、1,500Km圏内には大阪、ソウル、マニラ、香港等があり、東アジア・東南アジアと日本との接点とも言える位置にある。
沖縄本島の中部・南部は那覇市・沖縄市を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している。(沖縄本島#中南部都市圏 も参照)
本島南端の糸満市周辺は沖縄戦の激戦地であり、ひめゆりの塔等を含む地域が沖縄戦跡国定公園に指定されている。
( 慰霊の日も参照 )
亜熱帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原(やんばる)と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島等が沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がる他、イリオモテヤマネコ等の貴重な生物が生息している。なお、日本の環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、54ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道(61ヶ所)に次いで全国で2番目に多い。
2005年〜2007年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れ等が相次いだ。
平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流れてしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥り易い。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[1][2]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。その為、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、2005年に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
「地震大国」と言われる日本において、九州などと同じく一年あたりの(有感)地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関するリスクが少ない地域のひとつとされていた(地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が全国で唯一「0.7」の県となっているが、この値は後年見直される可能性もある)。しかし、損害保険料率算出機構の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。
人口密度は全国で第9位で、三大都市圏の都府県を除くと福岡県に次いで2番目に多い。
通常は九州地方とは独立して扱われるが、官公庁や企業の管轄地域などで九州地方に含まれる場合もある。九州#「九州」の由来を参照のこと。
気候は沖縄諸島(沖大東島を除く)・宮古列島(多良間島を除く)・尖閣諸島では亜熱帯性で温帯に属し、八重山列島・多良間島・沖大東島では熱帯性気候で熱帯雨林気候である。沖縄県各地方共高温多湿で年間降水量は2,000ミリメートル以上。年間平均気温は摂氏約22度前後。 また沖縄地方は台風銀座と呼ばれており、毎年多くの台風が接近する。
1977年(昭和52年)2月17日に、久米島にある測候所で初めて雪が観測された。(実際にはみぞれであるが、分類上は雪と同じ扱いとして記録される。)これは、沖縄県で唯一、気象庁が公式に発表した降雪記録であると同時に、日本における降雪の南限記録となった。[1]
歴史
沖縄県の歴史、沖縄県の年表、およびアメリカ合衆国による沖縄統治も参照
1429年、尚巴志によって三山統一を果たし、琉球王国が成立。
1879年(明治12年)3月、琉球処分により沖縄県が設置された。
1945年(昭和20年)、沖縄戦により住民に多数の犠牲者が出る。その後、アメリカの統治下に入る。
1972年(昭和47年)5月15日、日本に復帰した。27年間、アメリカの統治下にあった。
政治
知事
沖縄県知事一覧も参照
仲井眞弘多 - 2006年(平成18年)12月10日から現職。
議会
沖縄県議会も参照
定数 48人
任期 2008年6月25日 - 2012年6月24日
沖縄県議会議員選挙は統一地方選挙では実施されない数少ない都道府県議会議員選挙の1つである(他は東京都、茨城県)。これは、日本復帰後の選挙が1972年6月25日に行われたことによるためで、他の2都県(議会の解散)とは事情が異なる。
人口
合計特殊出生率・自然増加率・14歳以下の人口の割合は全国一高い。
2005年現在、全国で唯一、年少人口が老年人口を上回っている県である。
有形文化財建造物
重要伝統的建造物群保存地区
渡名喜島 (渡名喜村)
竹富島 (竹富町)
文化
日本国内においては、独自色の文化を持つ。沖縄県の歴史・沖縄県の文化なども参照されたい。
宗教
琉球の信仰も参照
アニミズムを基本としており、本土の神道の原形に近いと言われている。琉球神道とも言われ、本土の神社に当たるものとして御嶽がある。また、祖先崇拝の風も強く残る。
仏教はないことはなかったが、王族や一部の上層階級が信仰するのみで一般の農民にはほとんど浸透しておらず、葬式の儀礼の一部に用いられるにとどまった。現在でも仏教信者の数は本土に比べると極端に少ない。近年葬儀は一応仏式で行われるようになったが、本土のように宗派別の僧侶ではなく、無宗派の僧によって執り行われる場合が多い。また、僧とは別にユタを呼ぶ事例もある。
墓は自然のほら穴等を使った岩陰墓や崖を掘り込んだ掘込墓から、中国の影響を受けた亀甲墓へと変わり、現在では破風墓が一般的である。また、遺骨の処理方法も風葬や洗骨をする風習があったが、近年では保健所等の指導や婦人運動の結果、多くの地域で火葬が実施されるようになった。
芸能等
沖縄音楽および BEGINも参照
独特の音階を持つ音楽がある。民謡は現在も盛んに歌われるほか、ポピュラー系の音楽ジャンルにも影響が大きい。
料理
沖縄料理も参照
仏教の影響が弱かったことから、本土のように肉食の禁忌がなかったため(牛肉のみ王府によって禁止)、豚肉料理が伝統的に発達しており、ヤギの肉を食べることもある。豚の血液を料理するチーイリチーは、沖縄県ならではのものといえる。食生活には北海道産の昆布がよく使われる。
ゴーヤー
チャンプルー
沖縄そば
泡盛
アバサー(ハリセンボン)
グルクン(県魚であり、県民には比較的多く食される)
その他、アメリカ占領時の食文化も今日に受け継がれている。
タコライス
スパム
産業
水納ビーチ。沖縄県の観光産業において、ビーチは最も重要なものの一つで、多くの人々を魅了している。2003年度の県内総生産は約3兆5755億円(→県民経済計算)。一人あたり県民所得は全国最下位で、全国平均の70%である。失業率は全国一高い。
離島県であることから、生産できない生鮮食品・家電・自動車等、他県から移入する必要があるものは輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。しかし、本土の地方と比べて、特別物価が低くはなっていない。
産業別人口の割合では全国平均と比べて加工業を主とした第二次産業の比率が全国一低く、サービス業を主とする第三次産業の割合が東京都に次いで2番目に高いという特徴がある。
伝統・歴史・自然を生かした観光産業が盛んである。ただし、沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが「沖縄の自然」ではない。
観光客数はで5,153,200人(2004年沖縄県調べ)である。訪れる外国人観光客は、台湾(75%)、米国(11%)、韓国(4%)、香港(2%)、中国(2%)という比率になっている(2002年[3])。米国からの観光客は、基地関係者が多く含まれる。
日本唯一の熱帯・亜熱帯性気候を生かし、マンゴー等のトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤーといった農作物が生産されている。また、ブリやクルマエビの養殖も盛んである[2]。
2000年にサミットの首脳会議が行われたのを切っ掛けに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。
1998年から「沖縄県マルチメディアアイランド構想」に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange 等の呼びかけを行ないコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行なっている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴なわないとして箱物行政といった話題も多い。
近年の石油需要・原油価格の高騰から植物資源を燃料に充てようというバイオエタノールが脚光を浴び、沖縄県が主な産出のサトウキビが選択肢の一つとして注目されている。
優遇税制・特例
経済振興のため、数々の特例が設けられている。
ガソリン税(本土より7円/リットル引き)や、沖縄自動車道の通行料金(本土より約4割引)などが軽減されている。
沖縄県発着の航空便に関しては、航空機燃料税が50%減免されているため、本土の同一距離路線に比べて5000円程度安く[4]、観光客誘致に寄与している。
観光においては、観光戻税制度、のちの特定免税店制度が他県にはない特徴的な優遇税制である。
酒税の軽減措置がある(→泡盛、オリオンビール参照)。
2002年(平成14年)4月に施行された沖縄振興特別措置法により、IT関連企業、金融関連企業の誘致を行っている。税制上の優遇(法人税の控除、特別土地保有税の非課税、事業所税の課税標準の特例)と大地震等の災害の可能性の低さを理由に、幾つかの企業が特別地区への移動を行っている。
企業
県内では、本州等で展開している企業の地域会社が多数ある。
電気通信事業者でいえば、携帯電話のauのサービスを提供する地域会社、沖縄セルラー電話株式会社がある。この会社は沖縄県の経済振興を目的として設立された企業なので、同社の過半数株式を所有するKDDIだけでなく沖縄電力、更には県内の財界人・有力企業も出資している。 沖縄県独自のサービスも展開し、県内ではNTTドコモを抑えダントツの加入率を誇る(2005年現在49%。政治決着によりドミナント規制対象外だったが、のちにau本体が対象となった)。
またアステルグループのPHSサービスを提供していた沖縄電力グループ、旧アステル沖縄を引継ぎ、2005年1月25日に事業を開始した株式会社ウィルコム沖縄がある。本州等でPHSサービスを提供する株式会社ウィルコム(旧DDIポケット)の子会社である。元はアステルと旧DDIポケットが県内で共同で事業を展開する予定だったが、アステルグループ他社の撤退等、「外部環境の変化」を理由にアステル沖縄が解散を決定。アステル親会社沖縄電力・旧DDIポケット共同出資のウィルコム沖縄を設立し、事業が譲渡されることになったのである。
また、通信業に限らず、ビール会社においても沖縄県で大きな市場占有率を持つオリオンビールが存在する(酒税減免措置にのった県内市場の高い占有率であるが、日本全体で見た場合の市場占有率は1%程度であるため、独占禁止法に抵触しないとされる)。
また、新聞は輸送事情の関係で本土の全国紙は当日の朝に配送することが不可能なため(本土の夕刊の時刻に朝刊が届く状態)、沖縄タイムス、琉球新報が購読率の大半を占めている。
金融機関は、郵便局や県内の地方銀行がほとんどであり、都市銀行の支店については、宝くじ販売の関係でみずほ銀行那覇支店が唯一存在するのみである(このほかに三菱東京UFJ銀行が那覇に法人営業所を設置している)。
沖縄県に本社を置く主要企業
製造業
南西石油(西原町)
りゅうせき(浦添市)
沖縄コカ・コーラボトリング(浦添市)
オリオンビール(浦添市)
ヘリオス酒造(名護市)
琉球セメント(浦添市)
コーラルバイオテック(那覇市)
おっぱ乳業(今帰仁村)
沖縄製粉(那覇市)
沖縄ハム(読谷村)
小売業
サンエー(宜野湾市)
金秀商事(西原町)
琉球ジャスコ(南風原町)
沖縄ファミリーマート(那覇市)
電力
沖縄電力(浦添市)
情報通信業
沖縄セルラー電話(那覇市)
金融業
琉球銀行(那覇市)
沖縄銀行(那覇市)
沖縄海邦銀行(那覇市)
おきなわ証券(那覇市)
運輸
日本トランスオーシャン航空(那覇市)
沖縄岡崎運輸(那覇市)
建設
國場組(那覇市)
沖縄県に拠点事業所を置く主要企業
工場
日本鉄工(糸満市)
地域
1896年4月1日の郡制施行に伴い、国頭郡、中頭郡、島尻郡、宮古郡、八重山郡の5郡が設置された。現在もその旧郡の境界を以って5地域(5地区)に分ける慣例が残っている。ただし、島尻郡が沖縄本島周囲の離島全てを含むかたちとなっているため、伊平屋島と伊是名島は旧島尻郡の中心の那覇から遠くなっており、航路で近い国頭郡の枠に入れる例が多い。
行政による地域区分では、旧郡による5地地域において中頭地区に入る浦添市を南部広域市町村圏に入れている。また、島尻郡の離島は別扱いとなる。
以下の11市・5郡・11町・19村がある。沖縄県では、町は全て「ちょう」、村は全て「そん」と読む。
沖縄諸島
北部広域市町村圏
旧国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。旧郡の名称から「国頭地区」とも呼ばれる。
名護市
国頭郡
国頭村 - 大宜味村 - 今帰仁村 - 本部町 - 恩納村 - 宜野座村 - 金武町 - 東村
伊江島(国頭郡) - 伊江村
伊平屋島(島尻郡) - 伊平屋村
伊是名島(島尻郡) - 伊是名村
中部広域市町村圏
旧中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。
沖縄市
うるま市
宜野湾市
中頭郡
北谷町 - 嘉手納町 - 西原町 - 読谷村 - 北中城村 - 中城村
南部広域市町村圏
沖縄本島にある旧島尻郡部分に浦添市を含めた範囲。以前は宜野湾市も中部ながら南部広域圏に属していた。また西原町も南部広域圏には属していないものの一部の事務組合には南部と合同になることもある。
浦添市
那覇市
豊見城市
糸満市
南城市
島尻郡
与那原町 - 南風原町 - 八重瀬町
離島
いずれも島尻郡、南部広域市町村圏に属しており、「南部離島」とも呼ばれる。
久米島-久米島町
慶良間諸島
渡嘉敷村 - 座間味村
粟国諸島
粟国島-粟国村
渡名喜島-渡名喜村
大東諸島
南大東村 - 北大東村
先島諸島
宮古支庁
旧宮古郡の範囲。
宮古島市
宮古郡
多良間村
(宮古諸島の主な島 - 宮古島、伊良部島、多良間島)
八重山支庁
旧八重山郡の範囲。
石垣市
八重山郡
竹富町 - 与那国町
(八重山諸島の主な島 - 石垣島、西表島、与那国島、波照間島、竹富島、小浜島、鳩間島、黒島)
市町村の面積と人口
沖縄県市町村の面積と人口を参照されたい。
米軍基地
主な米軍基地 - 嘉手納基地、普天間基地、キャンプハンセン
クリックすると大きな画像が表れます。(白黒)
教育
大学
国立
琉球大学(本部は西原町であるが、キャンパスの敷地は西原町、中城村及び宜野湾市の3市町村にまたがっている。)
※沖縄科学技術大学院大学(仮称)は、国頭郡恩納村にを設置が予定されている。
公立
沖縄県立看護大学(那覇市)
沖縄県立芸術大学(那覇市)
私立
沖縄大学(那覇市)
沖縄国際大学(宜野湾市)
沖縄キリスト教学院大学(西原町)
名桜大学(名護市)
短期大学
沖縄女子短期大学(那覇市)
沖縄キリスト教短期大学(西原町、沖縄キリスト教学院大学と併設。)
高等専門学校
国立
沖縄工業高等専門学校(名護市)
高等学校・中学校・小学校・幼稚園・その他の学校
以下の一覧記事を参照されたい。
沖縄県高等学校一覧
沖縄県小学校一覧
沖縄県中学校一覧
沖縄県幼稚園一覧
沖縄県特別支援学校一覧
沖縄県英語学校一覧
マスコミ
新聞
沖縄タイムス
琉球新報
以下先島諸島のローカル紙
八重山毎日新聞、八重山日報(八重山諸島)
宮古毎日新聞、宮古新報(宮古諸島)
全国紙
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞も当県に総・支局がある。
2008年11月1日より日経が琉球新報社の委託による現地印刷を開始。全国紙では唯一、朝夕刊とも地元紙と同時に配達。 その他の、読売、毎日、朝日は東京本社と西部本社で発行された物が両方販売、産経は大阪本社発行版が販売されている。 これらの一般紙は、いずれも発行地より空輸され、配達されるのは当日の午後になる。
スポーツ紙
スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン(新報スポニチ)が当県で現地印刷されているが、両紙とも本州などで発行される物とは異なり、10〜12ページで発行されている(沖縄県には公営競技の施設がないので公営競技面は掲載されていない。また番組表も非掲載)。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニにおいて、東京本社版の各スポーツ紙が販売されている。発行日当日に空輸するため、価格は50円上乗せの180円となる。
放送
NHK沖縄放送局
琉球放送(RBC)(テレビ:JNN ラジオ:JRN)
沖縄テレビ放送(OTV)(FNN/FNS)
琉球朝日放送(QAB)(ANN)
ラジオ沖縄(ROK)(NRN)
エフエム沖縄(JFN)
AFN(在日米軍放送。本州・長崎県にある各局と違い、中波ラジオだけでなくテレビ、FMラジオでも番組を制作・配信)
※テレビジョンに関して
琉球朝日放送は先島諸島、大東諸島ではケーブルテレビを含めて受信不可。宮古、石垣の両島ではケーブルテレビの自主放送でテレビ朝日の番組を時差放送を行っているが、先島諸島のみ2009年4月1日にデジタル新局としてQABの中継局が設置される予定で、本島の開局から13年半でようやく視聴可能になる。
また大東諸島ではQAB以外の各テレビ局も受信できないため、関東広域圏で放送するNHK放送センター(衛星放送含む)、東京放送、フジテレビジョン、テレビ朝日を小笠原諸島中継所から衛星回線で放送し、沖縄県の話題は電話回線使用の字幕情報として伝えている(チャンネルについてはその項参照)。
また沖縄県には日本テレビ・テレビ東京系列の局がない(全国で唯一日本テレビ系列の放送対象地域外の都道府県でもある)。その為、同系列の番組の一部は県内の他系列放送局を通じて、その系列キー局のローカル枠で放送。南西放送が開局予定だったが取り消しになった。日本テレビ系列の番組のほとんどとテレビ東京系列の番組の一部について、沖縄本島北部の一部地域では、鹿児島讀賣テレビ(KYT)が高利得アンテナにより受信可能でそちらで見ることができるようである。
なお、日本テレビ系列の局のない沖縄県で、日本テレビのニュース取材を行うために、日本テレビ那覇支局がある。
近隣のテレビ局と豊見城市にある送信所の直線距離をさえぎるように沖縄県庁が建っているため、転送路を妨害しないように県庁の屋上部分が曲線的に窪ませてある。
なお、県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形・技術上などの問題もあり、県外民放の再配信はいっさい行われていない。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も県外民放はラジオを含めいっさい掲載されていない。
※AMラジオ局について
沖縄本島北部・先島諸島および大東諸島では夜間〜早朝を中心に近隣国の混信をまともに受け易いため、FM電波を使って中継放送が行われている。 沖縄本島周辺では夜間のみ関東〜九州のラジオ局が受信できるほか、本島北部の一部では昼間でもRKB毎日放送・南日本放送が受信できる。
※FMラジオ局について
FM沖縄は現在先島諸島、大東諸島では中継局がないので直接受信不可(なお宮古島では地元のコミュニティFM局が同局の一部の番組を放送)。NHK-FMは現在大東諸島では中継局がないので直接受信不可。
※コールサインについて
アメリカ合衆国の施政権下ではKSXXを用いていたが、本土復帰(1972年)以降はJOXXを用いている。
ケーブルテレビ
沖縄県のケーブルテレビ局(参照)
交通
空港
島嶼県であるという事情から、県外への移動や県内離島間の移動は空路が主に利用されている。県内には、以下の表の空港と伊是名場外離着陸場があり、また、在日米軍が基地として利用する嘉手納飛行場、普天間飛行場などがある。
鉄道路線
沖縄県の鉄道も参照
太平洋戦争前には沖縄本島に沖縄県営鉄道、沖縄電気(路面電車)、沖縄軌道、糸満馬車軌道が存在したが、沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道はバスの台頭により廃止され、残った沖縄県営鉄道と沖縄軌道も沖縄戦で破壊され消滅した。戦後は長らく鉄道路線が存在しなかったが、2003年に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港〜首里間が開業した。
2006年に那覇〜名護間に鉄道を建設する構想が明らかになった。(国が一部負担する形となるため元国鉄のJRグループ各社か第三セクター(県運営・現在はこちらが有力視されている。)が建設・運営する形になるがまだ決まっていない。)
全都道府県の中で、唯一JR各社がいっさい乗り入れていない。国鉄時代も同様であった。ただし、鉄道小荷物は連絡運輸で取り扱っていた。[5](同リンク中では「国鉄那覇港駅」と紹介されているが、正確には国鉄と連絡運輸を行っていた琉球海運の駅である)
バス
鉄道が沖縄都市モノレール(ゆいレール)しか存在しない沖縄県では、陸路として現在もバスが主要交通機関として運行している。しかし、近年は自家用車の増加により年々利用客は減少見込みにある。また日本で唯一一般路線・高速路線・観光路線でJRバスが路線を置いていない都道府県である(国鉄バス時代も同様)。
一般乗合・一般貸切兼業
沖縄本島
琉球バス交通
沖縄バス
那覇バス
東陽バス
沖縄中央観光
宮古島
宮古協栄バス
八千代バス・タクシー
共和バス
八重山
東運輸
西表島交通
一般貸切専業
沖縄本島
中部観光バス
大東交通
ワールドトランス
平安座総合開発
沖宮観光バス
結
サクシードプランニング
美ら島
國和第一ハイヤー
翔陽
沖縄南観光
ハイウエイ沖縄
太陽交通
カリー観光
ロケーションファースト
アンドインディー
フジさくら観光
Island Limousines
タワダロケーションサービス
ダイトウ
沖縄ツーリスト
伊江島
伊江島観光バス
久米島
久米島交通
八重山
平田観光
かびら観光交通
トラベル派遣
竹富島交通
コハマ交通
ちゅら島交通
いりおもて観光
特定
沖縄本島
那覇空港グランドサービス
那覇バス
八重山
東運輸
かびら観光交通
沖縄総合事務局 運輸部 平成19年度 運輸要覧より一部抜粋
道路
本土復帰後、1978年7月29日までは、車輌は右側通行だった。730運動も参照のこと。
沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しい。沖縄県は、「都道府県別1km当たり渋滞損失額」で、三大都市圏の都府県に次いで損失額が大きい[6]。
高速道路
沖縄自動車道
那覇空港自動車道
一般国道
国道58号
国道329号
国道330号
国道331号
国道332号
国道390号
国道449号
国道505号
国道506号
国道507号
県道
沖縄県の県道一覧を参照。
港湾
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。石垣市の石垣港は、中華人民共和国と台湾との中継港として使われている。
重要港湾
那覇港
運天港
金武湾港
中城湾港
平良港
石垣港
沖縄県を舞台にした作品
マンガ
ヤマトの火(未完)、およびその改作であるヤマタイカ - 歴史伝奇ロマン
遥かなる甲子園 - 聾学校野球部が甲子園大会を目指す物語。実在した北城聾学校野球部で実際にあった話を元にしている。
カジムヌガタイ - 風が語る沖縄戦
秘拳伝キラ - 空手発祥の地・伝説としてのみ伝わる空手・南王手八神流を名乗る少年八神 雲(ヤガミ キラ)の巻き起こす本格格闘技巨編・らしい
ニライカナイ
クッキングパパ - 主役・荒岩一味の長男である荒岩まことが沖縄県の琉国大学(架空-琉球大学がモデルと思われる-)在学中。作中で沖縄県での生活・名所・沖縄料理・有名な飲食店の紹介を披露する。
アニメ
BLOOD+ - 沖縄市コザ地区を中心に設定
ストラトス・フォー - 日本で唯一民間ジェット機の航空訓練場がある下地島が舞台
文芸
椿説弓張月(曲亭馬琴)
水滴(目取真俊)
豚の報い(又吉栄喜)
カクテル・パーティー(大城立裕)
オキナワの少年(東峰夫)
あそびにいくヨ!(神野オキナ)
うらにわのかみさま(神野オキナ)
風車祭(池上永一)
映画
オキナワの少年
ナビィの恋
ホテルハイビスカス
パイナップルツアーズ
ソナチネ
ニライカナイからの手紙
ゴーヤーちゃんぷるー
メインテーマ
海燕ジョーの軌跡
ひめゆりの塔
恋戦 OKINAWA
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
さよならニッポン!
涙そうそう
ゴジラ対メカゴジラ
モスラ2 海底の大決戦
テレビドラマ
琉球の風
ちゅらさん(ロケ地:小浜島ほか)
Dr.コトー診療所(ロケ地:与那国島)
さとうきび畑の唄(ロケ地:石垣島ほか)
瑠璃の島(ロケ地:鳩間島)
本日も晴れ。異状なし(ロケ地:波照間島ほか)
コンピュータゲーム
いなか暮らし ~南の島の物語~(ビクターインタラクティブソフトウエア、沖縄の架空の島・久垣島が舞台)
卒業Vacation(毎日コミュニケーションズ、沖縄県に属する架空の島・鈴鳴島が舞台)
風雨来記2(フォグ)
提督の決断シリーズ(KOEI)
龍が如く3(セガ)
名字
詳細は沖縄県の名字を参照。
スポーツクラブ
Uリーグ沖縄(野球の独立リーグ、構想)
安仁屋ベースボールトライ
FC琉球(サッカーJFL)
沖縄かりゆしFC(サッカー九州社会人リーグ)
琉球ゴールデンキングス
2007-08年シーズンよりbjリーグに新規参入のプロバスケットボールチーム。
主なスポーツイベント
おきなわマラソン
宮古島トライアスロン
ツール・ド・おきなわ
NAHAマラソン
由来
「おきなわ」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)とがあるが、いずれも定説には至っていない。
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タグ :沖縄県
2009年04月01日
沖縄県立図書館
沖縄県立図書館(おきなわけんりつとしょかん)は、沖縄県にある
沖縄県立の図書館。那覇市の本館、宮古島市の宮古分館、及び
石垣市の八重山分館から成る。
所在地・建物概要 [編集]
本館 [編集]
住所:〒902-0064 沖縄県那覇市寄宮1丁目2-16
敷地面積 - 8,749m²
延床面積 - 6,842m²
規模・構造 - 地上3階、地下1階(鉄骨鉄筋コンクリート造)
施設
一般閲覧室
郷土資料室
こども室
研修室
ホール
書庫
宮古分館 [編集]
住所:〒906-0007 沖縄県宮古島市平良字東仲宗根42
敷地面積 - 482m²
延床面積 - 639m²
規模・構造 - 地上2階(鉄骨鉄筋コンクリート造)
八重山分館 [編集]
住所:〒907-0004 沖縄県石垣市字登野城74-2
敷地面積 - 491m²
延床面積 - 344m²
規模・構造 - 地上2階(鉄骨鉄筋コンクリート造・1階はピロティ構造)
開館時間 [編集]
火曜日を除く平日:午前9時~午後7時(分館は午前9時~午後6時)
土曜日・日曜日:午前9時~午後5時
休館日 [編集]
毎週火曜日
国民の祝日
慰霊の日(6月23日)
年末年始(12月28日~1月4日)
分館では若干の差異あり。公式サイトを参照。
所蔵 [編集]
図書収容力:70万冊(書架:57万5千冊/開架:12万5千冊)
沿革 [編集]
戦前 [編集]
1910年(明治43年)8月1日 - 沖縄県庁敷地内に沖繩縣立沖繩圖書館が開館。蔵書4,560冊。初代館長に伊波普猷が就任。
1914年(大正3年)6月13日 - 八重山通俗図書館創立。
1921年(大正10年) - 沖繩圖書館に婦人閲覧室(別棟)を増設。
1928年(昭和3年)8月 - 宮古簡易図書館設置。
1937年(昭和12年)9月17日 - 八重山通俗図書館を八重山図書館に改称。
1940年(昭和年)3月 - 沖繩圖書館を久米町内兼久山に移転。
1945年(昭和20年) - 沖縄戦に伴う数度の米軍空襲により沖繩圖書館が壊滅。約3万冊の図書資料を悉く焼失する。羽地村大湿帯に疎開させていた古文書類も散逸。
アメリカ統治期 [編集]
1947年(昭和22年)4月19日 - 沖縄中央図書館石川分館が開館。
1947年(昭和22年)8月9日 - 沖縄中央図書館本館が開館。
1947年(昭和22年)10月5日 - 沖縄中央図書館首里分館が開館。
1947年(昭和22年)11月11日 - 沖縄中央図書館名護分館が開館。
1948年(昭和23年)4月 - 宮古群島政府宮古図書館が開館。
1949年(昭和24年)12月31日 - 首里分館が独立し、首里図書館となる。
1951年(昭和26年)2月1日 - 沖縄中央図書館本館、石川・名護分館が米軍の直轄となり、琉米文化会館と改称。
1952年(昭和27年)4月1日 - 琉球政府創立。宮古群島政府図書館を琉球政府立宮古図書館に、八重山図書館を琉球政府立八重山図書館に改称。
1961年(昭和36年)2月 - 宮古図書館新館が落成。
1961年(昭和36年)12月22日 - 首里図書館を中央図書館に改称。この時点での蔵書は4,493冊。
1964年(昭和39年)3月6日 - 中央図書館を現在の本館所在地(寄宮1丁目2-16)に新築。
1965年(昭和40年)1月8日 - 中央図書館を琉球政府立中央図書館に、宮古図書館を琉球政府立中央図書館宮古分館に、八重山図書館を琉球政府立中央図書館八重山分館に改称。
1969年(昭和44年) - この時点での蔵書は43,015冊。
日本復帰後 [編集]
1972年(昭和47年)5月15日 - 日本復帰。中央図書館を沖縄県立図書館、宮古分館を沖縄県立図書館宮古分館、八重山分館を沖縄県立図書館八重山分館に改称。この時点での蔵書は61,212冊。
1974年(昭和49年)7月1日 - 八重山分館新館が竣工。
1979年(昭和54年)3月 - 宮古分館新館が竣工。
1983年(昭和58年)11月28日 - 沖縄県立図書館が新築開館。この時点での蔵書は177,061冊。
1986年(昭和61年)4月1日 - 沖縄史料編集所を廃止、県立図書館に設置した史料編集室が業務を継承。
1988年(昭和63年)歴代宝案編集事業開始。
1989年(平成元年)4月1日 - 沖縄県歴代宝案編集委員会を設置。
1995年(平成7年)3月1日 - 図書館情報提供システムが稼動。
1995年(平成7年)5月10日 - 史料編集室を沖縄県公文書館に移転。
1995年(平成7年)5月15日 - 琉球政府文書等を沖縄県公文書館に移管する。
1996年(平成8年)3月1日 - 宮古・八重山分館図書館情報提供システム稼動。
1996年(平成8年)4月1日 - 史料編集室を教育庁文化課へ移管。
2004年(平成16年)4月23日 - 図書館システム・NALISを供用開始。
ウィキペディアより
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沖縄県立の図書館。那覇市の本館、宮古島市の宮古分館、及び
石垣市の八重山分館から成る。
所在地・建物概要 [編集]
本館 [編集]
住所:〒902-0064 沖縄県那覇市寄宮1丁目2-16
敷地面積 - 8,749m²
延床面積 - 6,842m²
規模・構造 - 地上3階、地下1階(鉄骨鉄筋コンクリート造)
施設
一般閲覧室
郷土資料室
こども室
研修室
ホール
書庫
宮古分館 [編集]
住所:〒906-0007 沖縄県宮古島市平良字東仲宗根42
敷地面積 - 482m²
延床面積 - 639m²
規模・構造 - 地上2階(鉄骨鉄筋コンクリート造)
八重山分館 [編集]
住所:〒907-0004 沖縄県石垣市字登野城74-2
敷地面積 - 491m²
延床面積 - 344m²
規模・構造 - 地上2階(鉄骨鉄筋コンクリート造・1階はピロティ構造)
開館時間 [編集]
火曜日を除く平日:午前9時~午後7時(分館は午前9時~午後6時)
土曜日・日曜日:午前9時~午後5時
休館日 [編集]
毎週火曜日
国民の祝日
慰霊の日(6月23日)
年末年始(12月28日~1月4日)
分館では若干の差異あり。公式サイトを参照。
所蔵 [編集]
図書収容力:70万冊(書架:57万5千冊/開架:12万5千冊)
沿革 [編集]
戦前 [編集]
1910年(明治43年)8月1日 - 沖縄県庁敷地内に沖繩縣立沖繩圖書館が開館。蔵書4,560冊。初代館長に伊波普猷が就任。
1914年(大正3年)6月13日 - 八重山通俗図書館創立。
1921年(大正10年) - 沖繩圖書館に婦人閲覧室(別棟)を増設。
1928年(昭和3年)8月 - 宮古簡易図書館設置。
1937年(昭和12年)9月17日 - 八重山通俗図書館を八重山図書館に改称。
1940年(昭和年)3月 - 沖繩圖書館を久米町内兼久山に移転。
1945年(昭和20年) - 沖縄戦に伴う数度の米軍空襲により沖繩圖書館が壊滅。約3万冊の図書資料を悉く焼失する。羽地村大湿帯に疎開させていた古文書類も散逸。
アメリカ統治期 [編集]
1947年(昭和22年)4月19日 - 沖縄中央図書館石川分館が開館。
1947年(昭和22年)8月9日 - 沖縄中央図書館本館が開館。
1947年(昭和22年)10月5日 - 沖縄中央図書館首里分館が開館。
1947年(昭和22年)11月11日 - 沖縄中央図書館名護分館が開館。
1948年(昭和23年)4月 - 宮古群島政府宮古図書館が開館。
1949年(昭和24年)12月31日 - 首里分館が独立し、首里図書館となる。
1951年(昭和26年)2月1日 - 沖縄中央図書館本館、石川・名護分館が米軍の直轄となり、琉米文化会館と改称。
1952年(昭和27年)4月1日 - 琉球政府創立。宮古群島政府図書館を琉球政府立宮古図書館に、八重山図書館を琉球政府立八重山図書館に改称。
1961年(昭和36年)2月 - 宮古図書館新館が落成。
1961年(昭和36年)12月22日 - 首里図書館を中央図書館に改称。この時点での蔵書は4,493冊。
1964年(昭和39年)3月6日 - 中央図書館を現在の本館所在地(寄宮1丁目2-16)に新築。
1965年(昭和40年)1月8日 - 中央図書館を琉球政府立中央図書館に、宮古図書館を琉球政府立中央図書館宮古分館に、八重山図書館を琉球政府立中央図書館八重山分館に改称。
1969年(昭和44年) - この時点での蔵書は43,015冊。
日本復帰後 [編集]
1972年(昭和47年)5月15日 - 日本復帰。中央図書館を沖縄県立図書館、宮古分館を沖縄県立図書館宮古分館、八重山分館を沖縄県立図書館八重山分館に改称。この時点での蔵書は61,212冊。
1974年(昭和49年)7月1日 - 八重山分館新館が竣工。
1979年(昭和54年)3月 - 宮古分館新館が竣工。
1983年(昭和58年)11月28日 - 沖縄県立図書館が新築開館。この時点での蔵書は177,061冊。
1986年(昭和61年)4月1日 - 沖縄史料編集所を廃止、県立図書館に設置した史料編集室が業務を継承。
1988年(昭和63年)歴代宝案編集事業開始。
1989年(平成元年)4月1日 - 沖縄県歴代宝案編集委員会を設置。
1995年(平成7年)3月1日 - 図書館情報提供システムが稼動。
1995年(平成7年)5月10日 - 史料編集室を沖縄県公文書館に移転。
1995年(平成7年)5月15日 - 琉球政府文書等を沖縄県公文書館に移管する。
1996年(平成8年)3月1日 - 宮古・八重山分館図書館情報提供システム稼動。
1996年(平成8年)4月1日 - 史料編集室を教育庁文化課へ移管。
2004年(平成16年)4月23日 - 図書館システム・NALISを供用開始。
ウィキペディアより
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タグ :沖縄県立図書館
2009年04月01日
ひめゆりの塔
ひめゆりの塔(ひめゆりのとう)は、沖縄戦末期の激しい戦闘で
ほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑。
現在の沖縄県糸満市にある。1946年4月7日除幕。
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していた
ひめゆり学徒隊にちなむ。「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県
立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の
校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、もとは「姫百合」で
あったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。植物の
ヒメユリとは関係がない。
「塔」と名はついているが、実物は高さ数十センチメートルで
それほど高くはない。これは、終戦直後の物資難な時代に
建立された事と、アメリカ軍統治下に建立されたという事情
によるものである。また、この種の慰霊碑は、沖縄県(特に
沖縄本島)には非常に多くあり、ひめゆりの塔はそれらのうちで
一番古いものではない(最古のものは、ひめゆりの塔と同じく
金城夫妻らが米須霊域に建てた「魂魄の塔」(こんぱくのとう)
であるとされている)。
しかし、1949年に石野径一郎によって碑に関する逸話が
小説化されると、直後に戯曲化され、さらに同名の映画が
つくられ有名となった。沖縄戦の過酷さ、悲惨さを象徴する
ものとして、現在でも参拝する人が絶えない。
ひめゆりの塔から外科壕跡を挟んだ奥には慰霊碑(納骨堂)が
建てられており、さらに、その奥には生存者の手記や従軍の
様子などを展示した「ひめゆり平和祈念資料館」がある。
また、敷地内や隣地には沖縄戦殉職医療人の碑など複数の
慰霊碑や塔が建てられている。
歴史
1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等
女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、
南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。
しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近
に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃に
さらされるようになったため、5月25日には陸軍病院そのものが回復
の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城
周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだ。この際患者を収容する
壕が確保できなかったために負傷兵は原隊への復帰が命じられ、
病院としての機能は失われていたという。
戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる
(看護婦採用試験合格者を除く)。しかし、既に沖縄のほぼ全域を
アメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされ
ていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。
最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である。第三外科壕
は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち
教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。さらに壕の生存者
9名のうち教師1名と生徒3名は壕脱出後に死亡した。
従い、第三外科壕にいたひめゆり学徒隊のうち沖縄戦終結まで
生き残ったのはわずかに生徒5名のみである。 文学作品では、
黄燐手榴弾の攻撃を毒ガス弾によるものと誤認しているが、
当然だが毒ガス手投げ弾というものは米軍では使用していなかった。
なお、毒ガス兵器になると現地司令官の裁量で使用出来るもの
ではなく、最悪でも方面軍司令官の命令が必要なものである。
第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、
19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ
避難)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡
した。職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、
職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名
で全体の86%にものぼり、さらにわかっているだけでも全体の35%
にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。
戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見される。
その後、アメリカ軍によってこの地に住むことを命じられて住んでいた
真和志村の人らによって遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられた。
ひめゆり学徒隊という名称は動員当時から存在したが(ただしひらがな
書きが用いられるようになったのは上述の通り戦後になってから)、
兵士らにとっては所属校がどこであるかはほとんど問題にならなかった
ので、実際にはこの呼称はほとんど用いられず、学生さん、学徒、
などと呼ばれていたという。なお、ひめゆり学徒隊以外にも他の学校の
生徒を集めて作られた学徒隊は別にあり、それぞれ所属校にちなんだ
名称がついていた(県立首里高等女学校のずゐせん学徒隊などが有名)。
これらの学徒隊もほぼ同様の運命をたどり、それぞれの名にちなんだ
慰霊碑が建てられている。
映画
『ひめゆりの塔』 - 東映・1953年作品。今井正監督。
『あゝひめゆりの塔』 - 日活・1968年作品。舛田利雄監督。
『ひめゆりの塔』 - 芸苑社/東宝・1982年作品。今井正監督。
『ひめゆりの塔』 - 東宝・1995年作品。神山征二郎監督。
『ひめゆり』 - プロダクション・エイシア・2007年作品。柴田昌平監督。
ドラマ
『沖縄従軍少女看護隊―最後のナイチンゲール』 -
日本テレビ系「ドラマ・コンプレックス」枠内放送・2006年作品。
ひめゆり学徒隊と行動を共にした上原婦長をモデルにしたものと
思われる。
音楽
合唱曲『ひめゆりの塔』 - 山本和夫作詞、岩河三郎作曲
文献
石野径一郎『ひめゆりの塔』(講談社文庫)、
1988年、ISBN 4061313886
伊波園子『ひめゆりの沖縄戦 一少女は嵐のなかを生きた』
(岩波ジュニア新書)岩波書店、1992年6月、ISBN 4005002072
香川京子『ひめゆりたちの祈り―沖縄のメッセージ』 (文庫) 1993年07月
小林照幸『21世紀のひめゆり』毎日新聞社、
2002年11月、ISBN 462031580X
仲宗根政善編著『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』
(改版、角川文庫)、1995年3月、ISBN 4041515017
宮城喜久子『ひめゆりの少女 十六歳の戦場』高文研、
1995年6月、ISBN 4874981607
宮良ルリ『私のひめゆり戦記』ニライ社、
1995年、ISBN 4880241768
吉田司『ひめゆり忠臣蔵』(増補新版)、太田出版、2000年7月、
ISBN 4872335317
和歌森太郎ほか
『語りつごうアジア・太平洋戦争 8 ひめゆり学徒隊』岩崎書店、
1995年1月、ISBN 426504428X
『ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック』(新版)、2004年8月
『ひめゆり平和祈念資料館 資料集3 ひめゆり学徒隊』、2004年12月
財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会
『続ひめゆり -女師・一高女沿革誌続編-』、2004年6月
ウィキペディアより
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ほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑。
現在の沖縄県糸満市にある。1946年4月7日除幕。
慰霊碑の名称は、当時第三外科壕に学徒隊として従軍していた
ひめゆり学徒隊にちなむ。「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県
立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の
校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉で、もとは「姫百合」で
あったが、戦後ひらがなで記載されるようになった。植物の
ヒメユリとは関係がない。
「塔」と名はついているが、実物は高さ数十センチメートルで
それほど高くはない。これは、終戦直後の物資難な時代に
建立された事と、アメリカ軍統治下に建立されたという事情
によるものである。また、この種の慰霊碑は、沖縄県(特に
沖縄本島)には非常に多くあり、ひめゆりの塔はそれらのうちで
一番古いものではない(最古のものは、ひめゆりの塔と同じく
金城夫妻らが米須霊域に建てた「魂魄の塔」(こんぱくのとう)
であるとされている)。
しかし、1949年に石野径一郎によって碑に関する逸話が
小説化されると、直後に戯曲化され、さらに同名の映画が
つくられ有名となった。沖縄戦の過酷さ、悲惨さを象徴する
ものとして、現在でも参拝する人が絶えない。
ひめゆりの塔から外科壕跡を挟んだ奥には慰霊碑(納骨堂)が
建てられており、さらに、その奥には生存者の手記や従軍の
様子などを展示した「ひめゆり平和祈念資料館」がある。
また、敷地内や隣地には沖縄戦殉職医療人の碑など複数の
慰霊碑や塔が建てられている。
歴史
1945年3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等
女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、
南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。
しかしその後激しい戦闘が続き、日本軍の防衛戦が前田高地附近
に撤退した4月24日頃には山容が変わるほどの激しい砲撃に
さらされるようになったため、5月25日には陸軍病院そのものが回復
の見込みのない負傷兵・学徒を置き去りにして南部の伊原・山城
周辺に撤退し、分散して地下壕に潜んだ。この際患者を収容する
壕が確保できなかったために負傷兵は原隊への復帰が命じられ、
病院としての機能は失われていたという。
戦局が絶望的になると、6月18日、学徒隊は解散を命じられる
(看護婦採用試験合格者を除く)。しかし、既に沖縄のほぼ全域を
アメリカ軍が支配しており、また周辺も既に激しい砲撃にさらされ
ていたため、地下壕から出ることはほとんど死を意味した。
最も被害を受けたのは第三外科壕の学徒隊である。第三外科壕
は19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち
教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡した。さらに壕の生存者
9名のうち教師1名と生徒3名は壕脱出後に死亡した。
従い、第三外科壕にいたひめゆり学徒隊のうち沖縄戦終結まで
生き残ったのはわずかに生徒5名のみである。 文学作品では、
黄燐手榴弾の攻撃を毒ガス弾によるものと誤認しているが、
当然だが毒ガス手投げ弾というものは米軍では使用していなかった。
なお、毒ガス兵器になると現地司令官の裁量で使用出来るもの
ではなく、最悪でも方面軍司令官の命令が必要なものである。
第一外科壕、第二外科壕は、アメリカ軍の攻撃を事前に察知し、
19日未明までに地下壕から脱出した(そのうちの一部は第三へ
避難)。しかしこれらの学徒隊もその後の激しい戦闘で多くが死亡
した。職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、
職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名
で全体の86%にものぼり、さらにわかっているだけでも全体の35%
にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。
戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見される。
その後、アメリカ軍によってこの地に住むことを命じられて住んでいた
真和志村の人らによって遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられた。
ひめゆり学徒隊という名称は動員当時から存在したが(ただしひらがな
書きが用いられるようになったのは上述の通り戦後になってから)、
兵士らにとっては所属校がどこであるかはほとんど問題にならなかった
ので、実際にはこの呼称はほとんど用いられず、学生さん、学徒、
などと呼ばれていたという。なお、ひめゆり学徒隊以外にも他の学校の
生徒を集めて作られた学徒隊は別にあり、それぞれ所属校にちなんだ
名称がついていた(県立首里高等女学校のずゐせん学徒隊などが有名)。
これらの学徒隊もほぼ同様の運命をたどり、それぞれの名にちなんだ
慰霊碑が建てられている。
映画
『ひめゆりの塔』 - 東映・1953年作品。今井正監督。
『あゝひめゆりの塔』 - 日活・1968年作品。舛田利雄監督。
『ひめゆりの塔』 - 芸苑社/東宝・1982年作品。今井正監督。
『ひめゆりの塔』 - 東宝・1995年作品。神山征二郎監督。
『ひめゆり』 - プロダクション・エイシア・2007年作品。柴田昌平監督。
ドラマ
『沖縄従軍少女看護隊―最後のナイチンゲール』 -
日本テレビ系「ドラマ・コンプレックス」枠内放送・2006年作品。
ひめゆり学徒隊と行動を共にした上原婦長をモデルにしたものと
思われる。
音楽
合唱曲『ひめゆりの塔』 - 山本和夫作詞、岩河三郎作曲
文献
石野径一郎『ひめゆりの塔』(講談社文庫)、
1988年、ISBN 4061313886
伊波園子『ひめゆりの沖縄戦 一少女は嵐のなかを生きた』
(岩波ジュニア新書)岩波書店、1992年6月、ISBN 4005002072
香川京子『ひめゆりたちの祈り―沖縄のメッセージ』 (文庫) 1993年07月
小林照幸『21世紀のひめゆり』毎日新聞社、
2002年11月、ISBN 462031580X
仲宗根政善編著『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』
(改版、角川文庫)、1995年3月、ISBN 4041515017
宮城喜久子『ひめゆりの少女 十六歳の戦場』高文研、
1995年6月、ISBN 4874981607
宮良ルリ『私のひめゆり戦記』ニライ社、
1995年、ISBN 4880241768
吉田司『ひめゆり忠臣蔵』(増補新版)、太田出版、2000年7月、
ISBN 4872335317
和歌森太郎ほか
『語りつごうアジア・太平洋戦争 8 ひめゆり学徒隊』岩崎書店、
1995年1月、ISBN 426504428X
『ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック』(新版)、2004年8月
『ひめゆり平和祈念資料館 資料集3 ひめゆり学徒隊』、2004年12月
財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会
『続ひめゆり -女師・一高女沿革誌続編-』、2004年6月
ウィキペディアより
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タグ :ひめゆりの塔
2009年04月01日
沖縄県立博物館
沖縄県立博物館(おきなわけんりつはくぶつかん)は、沖縄県
那覇市にある沖縄県立の博物館である。
沿革 [編集]
1972年(昭和47年)5月15日 沖縄県立博物館開館。
1973年(昭和48年)11月 2階増築工事が完了。
1976年(昭和51年)11月 「沖縄県立博物館紀要」を発行する。
1981年(昭和56年)3月 博物館法に基づく博物館となる。
1982年(昭和57年)5月 自然史展示室を設ける。
1993年(平成5年)4月 子ども体験学習教室を設ける。
2006年(平成18年)3月 新館へ移転するために休館。
2007年(平成19年)3月 首里時代としては正式に閉館・移転。
2007年(平成19年)11月1日 那覇新都心にて博物館再開。開館記念展示は「人類の旅-港川人の歩んだ道」
展示 [編集]
常設展(総合展示)
常設展(部門展示)
屋外展示
企画展・特別展
旧館 [編集]
沖縄県立博物館(首里時代)元は首里の中城御殿跡地に開館した琉球政府立博物館が前身である。復帰後は「沖縄県立博物館」となり、2階に増築するなど整備が進められた。しかし、那覇新都心に沖縄県立博物館・美術館を建設することになったため、休館を経て、所蔵品は新都心に建設された新館に移送された。なお、移転と同時に旧館は閉館された。 敷地には、琉球王国時代の旧中城御殿の塀がそのまま使われ、沖縄戦の時の銃弾後が確認できる。
所在地
〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目1番地
ウィキペディアより
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那覇市にある沖縄県立の博物館である。
沿革 [編集]
1972年(昭和47年)5月15日 沖縄県立博物館開館。
1973年(昭和48年)11月 2階増築工事が完了。
1976年(昭和51年)11月 「沖縄県立博物館紀要」を発行する。
1981年(昭和56年)3月 博物館法に基づく博物館となる。
1982年(昭和57年)5月 自然史展示室を設ける。
1993年(平成5年)4月 子ども体験学習教室を設ける。
2006年(平成18年)3月 新館へ移転するために休館。
2007年(平成19年)3月 首里時代としては正式に閉館・移転。
2007年(平成19年)11月1日 那覇新都心にて博物館再開。開館記念展示は「人類の旅-港川人の歩んだ道」
展示 [編集]
常設展(総合展示)
常設展(部門展示)
屋外展示
企画展・特別展
旧館 [編集]
沖縄県立博物館(首里時代)元は首里の中城御殿跡地に開館した琉球政府立博物館が前身である。復帰後は「沖縄県立博物館」となり、2階に増築するなど整備が進められた。しかし、那覇新都心に沖縄県立博物館・美術館を建設することになったため、休館を経て、所蔵品は新都心に建設された新館に移送された。なお、移転と同時に旧館は閉館された。 敷地には、琉球王国時代の旧中城御殿の塀がそのまま使われ、沖縄戦の時の銃弾後が確認できる。
所在地
〒903-0823 沖縄県那覇市首里大中町1丁目1番地
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タグ :沖縄県立博物館
2009年04月01日
沖縄県幼稚園一覧
公立幼稚園 [編集]
国頭郡 [編集]
国頭村立辺土名幼稚園
今帰仁村立兼次幼稚園
今帰仁村立今帰仁幼稚園
今帰仁村立天底幼稚園
今帰仁村立湧川幼稚園
今帰仁村立古宇利幼稚園
本部町立上本部幼稚園
本部町立本部幼稚園
本部町立健堅幼稚園
本部町立伊豆味幼稚園
本部町立崎本部幼稚園
本部町立瀬底幼稚園
宜野座村立松田幼稚園
宜野座村立宜野座幼稚園
宜野座村立漢那幼稚園
金武町立中川幼稚園
金武町立金武幼稚園
金武町立嘉芸幼稚園
伊江村立伊江幼稚園
伊江村立西幼稚園
恩納村立安冨祖幼稚園
恩納村立喜瀬武原幼稚園
恩納村立恩納幼稚園
恩納村立仲泊幼稚園
恩納村立山田幼稚園
島尻郡 [編集]
伊平屋村立伊平屋幼稚園
伊是名村立伊是名幼稚園
久米島町立比屋定幼稚園
久米島町立仲里幼稚園
久米島町立久米島幼稚園
久米島町立美崎幼稚園
久米島町立清水幼稚園
久米島町立大岳幼稚園
南大東村立幼稚園
北大東村立幼稚園
八重瀬町立新城幼稚園
八重瀬町立具志頭幼稚園
与那原町立与那原幼稚園
与那原町立与那原東幼稚園
南風原町立南風原幼稚園
南風原町立翔南幼稚園
南風原町立北丘幼稚園
南風原町立津嘉山幼稚園
渡嘉敷村立渡嘉敷幼稚園
座間味村立座間味幼稚園
座間味村立阿嘉幼稚園
座間味村立慶留間幼稚園
粟国村立粟国幼稚園
渡名喜村立渡名喜幼稚園
南城市 [編集]
南城市立玉城幼稚園
南城市立百名幼稚園
南城市立船越幼稚園
南城市立久高幼稚園
南城市立知念幼稚園
南城市立佐敷幼稚園
南城市立大里北幼稚園
南城市立大里南幼稚園
名護市 [編集]
名護市立東江幼稚園
名護市立安和幼稚園
名護市立稲田幼稚園
名護市立大北幼稚園
名護市立大宮幼稚園
名護市立久志幼稚園
名護市立久辺幼稚園
名護市立源河幼稚園
名護市立瀬喜田幼稚園
名護市立名護幼稚園
名護市立羽地幼稚園
名護市立真喜屋幼稚園
名護市立三原幼稚園
名護市立屋我地幼稚園
名護市立屋部幼稚園
うるま市 [編集]
うるま市立城前幼稚園
うるま市立宮森幼稚園
うるま市立伊波幼稚園
うるま市立川崎幼稚園
うるま市立あげな幼稚園
うるま市立田場幼稚園
うるま市立天願幼稚園
うるま市立具志川幼稚園
うるま市立兼原幼稚園
うるま市立高江洲幼稚園
うるま市立中原幼稚園
うるま市立赤道幼稚園
うるま市立与那城幼稚園
うるま市立南原幼稚園
うるま市立勝連幼稚園
うるま市立平敷屋幼稚園
うるま市立比嘉幼稚園
うるま市立津堅幼稚園
中頭郡 [編集]
読谷村立喜名幼稚園
読谷村立古堅幼稚園
読谷村立古堅南幼稚園
読谷村立読谷幼稚園
読谷村立渡慶次幼稚園
嘉手納町立屋良幼稚園
嘉手納町立嘉手納幼稚園
北谷町立北谷幼稚園
北谷町立北谷第二幼稚園
北谷町立北玉幼稚園
北谷町立浜川幼稚園
北中城村立北中城幼稚園
中城村立中城幼稚園
西原町立西原東幼稚園
西原町立西原幼稚園
西原町立西原南幼稚園
西原町立坂田幼稚園
沖縄市 [編集]
沖縄市立安慶田幼稚園
沖縄市立泡瀬幼稚園
沖縄市立北美幼稚園
沖縄市立越来幼稚園
沖縄市立コザ幼稚園
沖縄市立島袋幼稚園
沖縄市立高原幼稚園
沖縄市立中の町幼稚園
沖縄市立美東幼稚園
沖縄市立美里幼稚園
沖縄市立美原幼稚園
沖縄市立宮里幼稚園
沖縄市立室川幼稚園
沖縄市立諸見幼稚園
沖縄市立山内幼稚園
沖縄市立北谷幼稚園
宜野湾市 [編集]
宜野湾市立嘉数幼稚園
宜野湾市立宜野湾幼稚園
宜野湾市立志真志幼稚園
宜野湾市立大山幼稚園
宜野湾市立大謝名幼稚園
宜野湾市立普天間幼稚園
宜野湾市立普天間第二幼稚園
宜野湾市立長田幼稚園
浦添市 [編集]
浦添市立浦添幼稚園
浦添市立仲西幼稚園
浦添市立神森幼稚園
浦添市立浦城幼稚園
浦添市立牧港幼稚園
浦添市立当山幼稚園
浦添市立内間幼稚園
浦添市立港川幼稚園
浦添市立宮城幼稚園
浦添市立沢岻幼稚園
浦添市立前田幼稚園
那覇市 [編集]
那覇市立安謝幼稚園
那覇市立城東幼稚園
那覇市立城北幼稚園
那覇市立城西幼稚園
那覇市立城南幼稚園
那覇市立真嘉比幼稚園
那覇市立泊幼稚園
那覇市立大道幼稚園
那覇市立松川幼稚園
那覇市立識名幼稚園
那覇市立壺屋幼稚園
那覇市立若狭幼稚園
那覇市立前島幼稚園
那覇市立久茂地幼稚園
那覇市立神原幼稚園
那覇市立真和志幼稚園
那覇市立与儀幼稚園
那覇市立城岳幼稚園
那覇市立天妃幼稚園
那覇市立開南幼稚園
那覇市立垣花幼稚園
那覇市立小禄幼稚園
那覇市立高良幼稚園
那覇市立宇栄原幼稚園
那覇市立松島幼稚園
那覇市立古蔵幼稚園
那覇市立上間幼稚園
那覇市立大名幼稚園
那覇市立石嶺幼稚園
那覇市立仲井真幼稚園
那覇市立金城幼稚園
那覇市立曙幼稚園
那覇市曙立小禄南幼稚園
那覇市立真地幼稚園
那覇市立さつき幼稚園
豊見城市 [編集]
豊見城市立上田幼稚園
豊見城市立長嶺幼稚園
豊見城市立座安幼稚園
豊見城市立豊見城幼稚園
豊見城市立伊良波幼稚園
豊見城市立とよみ幼稚園
糸満市 [編集]
糸満市立兼城幼稚園
糸満市立糸満幼稚園
糸満市立糸満南幼稚園
糸満市立高嶺幼稚園
糸満市立真壁幼稚園
糸満市立喜屋武幼稚園
糸満市立米須幼稚園
糸満市立西崎幼稚園
糸満市立潮平幼稚園
糸満市立光洋幼稚園
宮古島市 [編集]
宮古島市立平良第一幼稚園
宮古島市立北幼稚園
宮古島市立南幼稚園
宮古島市立東幼稚園
宮古島市立久松幼稚園
宮古島市立鏡原幼稚園
宮古島市立宮原幼稚園
宮古島市立西辺幼稚園
宮古島市立狩俣幼稚園
宮古島市立宮島幼稚園
宮古島市立池間幼稚園
宮古島市立城辺幼稚園
宮古島市立砂川幼稚園
宮古島市立西城幼稚園
宮古島市立福嶺幼稚園
宮古島市立下地幼稚園
宮古島市立来間幼稚園
宮古島市立上野幼稚園
宮古島市立伊良部幼稚園
宮古島市立佐良浜幼稚園
宮古郡 [編集]
多良間村立多良間幼稚園
石垣市 [編集]
石垣市立あかし幼稚園
石垣市立あまかわ幼稚園
石垣市立あらかわ幼稚園
石垣市立いのだ幼稚園
石垣市立おおかわ幼稚園
石垣市立おおはま幼稚園
石垣市立かわはら幼稚園
石垣市立しらほ幼稚園
石垣市立なぐら幼稚園
石垣市立のそこ幼稚園
石垣市立ひらくぼ幼稚園
石垣市立へいしん幼稚園
石垣市立まきら幼稚園
石垣市立みやとり幼稚園
石垣市立みやなが幼稚園
石垣市立みやまえ幼稚園
石垣市立やえやま幼稚園
石垣市立わかば幼稚園
八重山郡 [編集]
竹富町立はてるま幼稚園
竹富町立うえはら幼稚園
竹富町立おおはら幼稚園
与那国町立よなぐに幼稚園
与那国町立くぶら幼稚園
与那国町立ひがわ幼稚園
私立幼稚園 [編集]
愛児幼稚園
育英義塾幼稚園
沖縄女子短期大学附属報恩幼稚園
首里カトリック幼稚園
ナザレ幼稚園
善隣幼稚園
相愛幼稚園
光の子幼稚園
ヨゼフ幼稚園
具志川花園幼稚園
シオン幼稚園
慈愛幼稚園
真栄原カトリック幼稚園
栄光幼稚園 - 公式サイト
花園幼稚園
みつば幼稚園
海星幼稚園
牧港ひまわり幼稚園
みのり幼稚園
友愛幼稚園
うみのほし幼稚園
ゴスペル幼稚園
津山幼稚園
愛育幼稚園
愛星幼稚園
泡瀬聖母幼稚園
コザ聖母幼稚園
聖マタイ幼稚園
大宣味幼稚園
東幼稚園
有銘幼稚園
読谷こばと幼稚園
読谷中央幼稚園
アリス幼稚園
平安幼稚園
クリスチャン教育センタ-幼稚園
クララ幼稚園
開邦幼稚園
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国頭郡 [編集]
国頭村立辺土名幼稚園
今帰仁村立兼次幼稚園
今帰仁村立今帰仁幼稚園
今帰仁村立天底幼稚園
今帰仁村立湧川幼稚園
今帰仁村立古宇利幼稚園
本部町立上本部幼稚園
本部町立本部幼稚園
本部町立健堅幼稚園
本部町立伊豆味幼稚園
本部町立崎本部幼稚園
本部町立瀬底幼稚園
宜野座村立松田幼稚園
宜野座村立宜野座幼稚園
宜野座村立漢那幼稚園
金武町立中川幼稚園
金武町立金武幼稚園
金武町立嘉芸幼稚園
伊江村立伊江幼稚園
伊江村立西幼稚園
恩納村立安冨祖幼稚園
恩納村立喜瀬武原幼稚園
恩納村立恩納幼稚園
恩納村立仲泊幼稚園
恩納村立山田幼稚園
島尻郡 [編集]
伊平屋村立伊平屋幼稚園
伊是名村立伊是名幼稚園
久米島町立比屋定幼稚園
久米島町立仲里幼稚園
久米島町立久米島幼稚園
久米島町立美崎幼稚園
久米島町立清水幼稚園
久米島町立大岳幼稚園
南大東村立幼稚園
北大東村立幼稚園
八重瀬町立新城幼稚園
八重瀬町立具志頭幼稚園
与那原町立与那原幼稚園
与那原町立与那原東幼稚園
南風原町立南風原幼稚園
南風原町立翔南幼稚園
南風原町立北丘幼稚園
南風原町立津嘉山幼稚園
渡嘉敷村立渡嘉敷幼稚園
座間味村立座間味幼稚園
座間味村立阿嘉幼稚園
座間味村立慶留間幼稚園
粟国村立粟国幼稚園
渡名喜村立渡名喜幼稚園
南城市 [編集]
南城市立玉城幼稚園
南城市立百名幼稚園
南城市立船越幼稚園
南城市立久高幼稚園
南城市立知念幼稚園
南城市立佐敷幼稚園
南城市立大里北幼稚園
南城市立大里南幼稚園
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名護市立東江幼稚園
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名護市立名護幼稚園
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名護市立真喜屋幼稚園
名護市立三原幼稚園
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うるま市 [編集]
うるま市立城前幼稚園
うるま市立宮森幼稚園
うるま市立伊波幼稚園
うるま市立川崎幼稚園
うるま市立あげな幼稚園
うるま市立田場幼稚園
うるま市立天願幼稚園
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うるま市立兼原幼稚園
うるま市立高江洲幼稚園
うるま市立中原幼稚園
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うるま市立南原幼稚園
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うるま市立平敷屋幼稚園
うるま市立比嘉幼稚園
うるま市立津堅幼稚園
中頭郡 [編集]
読谷村立喜名幼稚園
読谷村立古堅幼稚園
読谷村立古堅南幼稚園
読谷村立読谷幼稚園
読谷村立渡慶次幼稚園
嘉手納町立屋良幼稚園
嘉手納町立嘉手納幼稚園
北谷町立北谷幼稚園
北谷町立北谷第二幼稚園
北谷町立北玉幼稚園
北谷町立浜川幼稚園
北中城村立北中城幼稚園
中城村立中城幼稚園
西原町立西原東幼稚園
西原町立西原幼稚園
西原町立西原南幼稚園
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沖縄市 [編集]
沖縄市立安慶田幼稚園
沖縄市立泡瀬幼稚園
沖縄市立北美幼稚園
沖縄市立越来幼稚園
沖縄市立コザ幼稚園
沖縄市立島袋幼稚園
沖縄市立高原幼稚園
沖縄市立中の町幼稚園
沖縄市立美東幼稚園
沖縄市立美里幼稚園
沖縄市立美原幼稚園
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沖縄市立室川幼稚園
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宜野湾市 [編集]
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宜野湾市立普天間第二幼稚園
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浦添市 [編集]
浦添市立浦添幼稚園
浦添市立仲西幼稚園
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那覇市 [編集]
那覇市立安謝幼稚園
那覇市立城東幼稚園
那覇市立城北幼稚園
那覇市立城西幼稚園
那覇市立城南幼稚園
那覇市立真嘉比幼稚園
那覇市立泊幼稚園
那覇市立大道幼稚園
那覇市立松川幼稚園
那覇市立識名幼稚園
那覇市立壺屋幼稚園
那覇市立若狭幼稚園
那覇市立前島幼稚園
那覇市立久茂地幼稚園
那覇市立神原幼稚園
那覇市立真和志幼稚園
那覇市立与儀幼稚園
那覇市立城岳幼稚園
那覇市立天妃幼稚園
那覇市立開南幼稚園
那覇市立垣花幼稚園
那覇市立小禄幼稚園
那覇市立高良幼稚園
那覇市立宇栄原幼稚園
那覇市立松島幼稚園
那覇市立古蔵幼稚園
那覇市立上間幼稚園
那覇市立大名幼稚園
那覇市立石嶺幼稚園
那覇市立仲井真幼稚園
那覇市立金城幼稚園
那覇市立曙幼稚園
那覇市曙立小禄南幼稚園
那覇市立真地幼稚園
那覇市立さつき幼稚園
豊見城市 [編集]
豊見城市立上田幼稚園
豊見城市立長嶺幼稚園
豊見城市立座安幼稚園
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豊見城市立伊良波幼稚園
豊見城市立とよみ幼稚園
糸満市 [編集]
糸満市立兼城幼稚園
糸満市立糸満幼稚園
糸満市立糸満南幼稚園
糸満市立高嶺幼稚園
糸満市立真壁幼稚園
糸満市立喜屋武幼稚園
糸満市立米須幼稚園
糸満市立西崎幼稚園
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宮古島市 [編集]
宮古島市立平良第一幼稚園
宮古島市立北幼稚園
宮古島市立南幼稚園
宮古島市立東幼稚園
宮古島市立久松幼稚園
宮古島市立鏡原幼稚園
宮古島市立宮原幼稚園
宮古島市立西辺幼稚園
宮古島市立狩俣幼稚園
宮古島市立宮島幼稚園
宮古島市立池間幼稚園
宮古島市立城辺幼稚園
宮古島市立砂川幼稚園
宮古島市立西城幼稚園
宮古島市立福嶺幼稚園
宮古島市立下地幼稚園
宮古島市立来間幼稚園
宮古島市立上野幼稚園
宮古島市立伊良部幼稚園
宮古島市立佐良浜幼稚園
宮古郡 [編集]
多良間村立多良間幼稚園
石垣市 [編集]
石垣市立あかし幼稚園
石垣市立あまかわ幼稚園
石垣市立あらかわ幼稚園
石垣市立いのだ幼稚園
石垣市立おおかわ幼稚園
石垣市立おおはま幼稚園
石垣市立かわはら幼稚園
石垣市立しらほ幼稚園
石垣市立なぐら幼稚園
石垣市立のそこ幼稚園
石垣市立ひらくぼ幼稚園
石垣市立へいしん幼稚園
石垣市立まきら幼稚園
石垣市立みやとり幼稚園
石垣市立みやなが幼稚園
石垣市立みやまえ幼稚園
石垣市立やえやま幼稚園
石垣市立わかば幼稚園
八重山郡 [編集]
竹富町立はてるま幼稚園
竹富町立うえはら幼稚園
竹富町立おおはら幼稚園
与那国町立よなぐに幼稚園
与那国町立くぶら幼稚園
与那国町立ひがわ幼稚園
私立幼稚園 [編集]
愛児幼稚園
育英義塾幼稚園
沖縄女子短期大学附属報恩幼稚園
首里カトリック幼稚園
ナザレ幼稚園
善隣幼稚園
相愛幼稚園
光の子幼稚園
ヨゼフ幼稚園
具志川花園幼稚園
シオン幼稚園
慈愛幼稚園
真栄原カトリック幼稚園
栄光幼稚園 - 公式サイト
花園幼稚園
みつば幼稚園
海星幼稚園
牧港ひまわり幼稚園
みのり幼稚園
友愛幼稚園
うみのほし幼稚園
ゴスペル幼稚園
津山幼稚園
愛育幼稚園
愛星幼稚園
泡瀬聖母幼稚園
コザ聖母幼稚園
聖マタイ幼稚園
大宣味幼稚園
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有銘幼稚園
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タグ :沖縄県幼稚園一覧
2009年04月01日
沖縄県庁舎
沖縄県庁舎(おきなわけんちょうしゃ)は、沖縄県庁の建物の
総称である。1990年に竣工した現在の建物は黒川紀章により
設計された。所在地は沖縄県那覇市泉崎。隣りには沖縄県議会、
沖縄県警察本部庁舎がある。近くには那覇市役所やテレビ局、
百貨店、銀行などが立ち並ぶ。
戦前の沖縄県庁も同地に置かれていたが、1944年10月10日の空襲(十・十空襲)で消失すると、宜野湾に一時移転した。沖縄戦時は陸軍第32軍の司令部があった首里の周辺の壕へ移り、軍の移動とともに壕を点々とする。
戦後は同じ土地に琉球政府、米国民政府、立法院、裁判所などが建っていた。
1968年に米国民政府が移転し、また復帰により国家事務を扱う部局が移転したことで一時的に余裕ができたが、行政需要が増大したことで庁舎が手狭になってきた。緊急にプレハブ庁舎を建てたが間に合わず、近辺の民間ビルを借りて対応しなければならなかった。そこで、1981年(昭和56年)より沖縄県総務部に県庁舎建設準備室を設置し計画が進められていた。
沖縄県庁を中部に移転し、第1庁舎や沖縄県議会(旧立法院)の保存を求める声があったものの、1986年に第1庁舎、第3庁舎、旧司法庁舎などを撤去して着工。ところが、琉球王朝時代の窯業釜「湧田釜」が発掘され、移転論なども再噴出した。結局、釜は掘り出され、那覇市おもろまちの那覇新都心に移設された(2007年11月に開館した沖縄県立博物館新館・美術館への設置が行われている)。移設後、工事が再開され1990年1月に県庁舎は完成した。
建物 [編集]
1986年起工、1990年竣工
高さ - 71.7m
階数 - 地上14階(塔屋3階)地下2階(14階には、展望室がある)
構造 - 鉄骨鉄筋コンクリート造
延床面積 - 78,284m²
設計 [編集]
設計 - 黒川紀章建築都市設計事務所・沖縄県建築設計監理共同組合JV
デザイン [編集]
高層の庁舎は、仕上材料の異なる三層構成となっている。頂部は、近くにある琉球放送のアナログ放送STL波を豊見城市の旧NHK沖縄放送局にある送信施設に届かせるため、切妻屋根の中央部の曲線で切りとっている(2011年のアナログ放送停波後の改築等は未定)。正面玄関上部には、シーサーを取りつけるなど、伝統と現代の共生を目指している。1991年には、第32回BCS賞を受賞している。
展望室 [編集]
展望室は、西側しか見る事ができない。景色は、海や那覇の中心街が見える。しかし、直射日光を遮る為か、窓が壁面から2m程内側に入っている為、高い所に出たという爽快感は余り感じられない。
窓は開く事が出来る様だが、開けないでと書かれている。また、喫茶室がある。
交通機関 [編集]
最寄駅 - 沖縄都市モノレール線・県庁前駅。
最寄バス停 - 県庁前、県庁北口、県庁南口バス停。県庁前駅#バス路線を参照。
ウィキペディアより
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総称である。1990年に竣工した現在の建物は黒川紀章により
設計された。所在地は沖縄県那覇市泉崎。隣りには沖縄県議会、
沖縄県警察本部庁舎がある。近くには那覇市役所やテレビ局、
百貨店、銀行などが立ち並ぶ。
戦前の沖縄県庁も同地に置かれていたが、1944年10月10日の空襲(十・十空襲)で消失すると、宜野湾に一時移転した。沖縄戦時は陸軍第32軍の司令部があった首里の周辺の壕へ移り、軍の移動とともに壕を点々とする。
戦後は同じ土地に琉球政府、米国民政府、立法院、裁判所などが建っていた。
1968年に米国民政府が移転し、また復帰により国家事務を扱う部局が移転したことで一時的に余裕ができたが、行政需要が増大したことで庁舎が手狭になってきた。緊急にプレハブ庁舎を建てたが間に合わず、近辺の民間ビルを借りて対応しなければならなかった。そこで、1981年(昭和56年)より沖縄県総務部に県庁舎建設準備室を設置し計画が進められていた。
沖縄県庁を中部に移転し、第1庁舎や沖縄県議会(旧立法院)の保存を求める声があったものの、1986年に第1庁舎、第3庁舎、旧司法庁舎などを撤去して着工。ところが、琉球王朝時代の窯業釜「湧田釜」が発掘され、移転論なども再噴出した。結局、釜は掘り出され、那覇市おもろまちの那覇新都心に移設された(2007年11月に開館した沖縄県立博物館新館・美術館への設置が行われている)。移設後、工事が再開され1990年1月に県庁舎は完成した。
建物 [編集]
1986年起工、1990年竣工
高さ - 71.7m
階数 - 地上14階(塔屋3階)地下2階(14階には、展望室がある)
構造 - 鉄骨鉄筋コンクリート造
延床面積 - 78,284m²
設計 [編集]
設計 - 黒川紀章建築都市設計事務所・沖縄県建築設計監理共同組合JV
デザイン [編集]
高層の庁舎は、仕上材料の異なる三層構成となっている。頂部は、近くにある琉球放送のアナログ放送STL波を豊見城市の旧NHK沖縄放送局にある送信施設に届かせるため、切妻屋根の中央部の曲線で切りとっている(2011年のアナログ放送停波後の改築等は未定)。正面玄関上部には、シーサーを取りつけるなど、伝統と現代の共生を目指している。1991年には、第32回BCS賞を受賞している。
展望室 [編集]
展望室は、西側しか見る事ができない。景色は、海や那覇の中心街が見える。しかし、直射日光を遮る為か、窓が壁面から2m程内側に入っている為、高い所に出たという爽快感は余り感じられない。
窓は開く事が出来る様だが、開けないでと書かれている。また、喫茶室がある。
交通機関 [編集]
最寄駅 - 沖縄都市モノレール線・県庁前駅。
最寄バス停 - 県庁前、県庁北口、県庁南口バス停。県庁前駅#バス路線を参照。
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タグ :沖縄県庁舎
2009年04月01日
エイサー
エイサーは、沖縄県でお盆の時期に踊られる伝統芸能。
この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが
歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。
また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も
重視され、その金でため池を設けた例もある。
地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐわちもーい)、
念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために
各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベント
となっている。
歴史
袋中が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、
沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、
托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の
供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。
当時は現代のエイサーと形式が異なり、[門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間に
エイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化
する中で、民謡などを取り込む例も増えた。与那国島で始まったのは80年
ほど前と言われている。なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの
普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。
念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。
戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。
この地域は青年層の人口が多く、コザ市で1956年に始まった全島エイサー
コンクール(現・全島エイサー祭り)の影響もあって、観客を意識した派手な
衣装や太鼓のパフォーマンスなどが取り入れられた。一方で、名護市以北
の本島北部では伝統的な手踊りのエイサーも続けられている。
現在では、沖縄近辺の奄美諸島のほか全国的にエイサーが踊られている。
特に、1990年代以降は沖縄県出身者が中心となって多くのエイサー団体
が設立された[5]。また、アメリカ合衆国やフランスでも踊られた例がある。
語源
エイサーの由来は、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃子の一つ
「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」
から来ているとされる。また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は
歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
進行
エイサーは旧暦の盆の送り(ウークイ)の夜に行なわれる。
近年は盆の迎え(ウンケー)から数夜連続で行なわれることが多い。
旗頭を先頭とした一団は、地域の各戸を回り、それぞれの家の祖先の
霊が無事に後生(グソー、「あの世」の意)に戻れることを祈願することを述べ、
エイサーを踊る。踊りが一段落すると一団は酒や金を受け取って次の家へ
向かい、祈願と踊りを繰り返す。このようにして家々を回り歩くことを
道ジュネーと呼ぶ。
エイサーは町内会単位で結成されることが多いが、その境界では複数の
エイサーがかち合うことがある。この時には双方が一層声を高くし、踊りに
熱を入れる。これをエイサーオーラセーまたはエイサーガーエーと呼ぶ。
構成
エイサーは、地域の集落単位で若者を中心として一団(青年会)を結成
して行なわれる。
太鼓エイサー
太鼓エイサーは現在では全県的に盛んであるが、特に沖縄市や与勝半島
など中頭郡のものが有名である。伝統的なスタイルに比べてマスゲーム的
な要素が強いため、人数が多い方が見栄えがすることが多い。
一つの集団が数十人から時には100人を超えることもある。
旗頭(はたがしら)
エイサーの先頭に立ち、その地域の名を記した高さ3~4mの旗を持つ。
エイサーオーラセーに際しては、自らの一団を誇示するためにことさらに高く
旗を掲げたり、相手の旗とぶつけ合ったりする。
太鼓打ち(たいこうち(テークウチ))
エイサーで太鼓を持って踊るのは基本的に男性である。
盆踊りで櫓に置かれるような直径50cmほどの大太鼓(ウフデークー)、
鼓のような形をした直径30cmほどの締太鼓(シメデークー)、片面だけに
皮を張った直径20cmほどのパーランクーの3種がある。地域によっては
パーランクーのみ、大太鼓と締太鼓のみといった構成のこともある。
太鼓踊りは頭巾(マンサージ)を被って、一団で統一された打掛、羽織等を
着る。下半身は白ズボンに黒白ストライプの脚絆を付けたりニッカボッカー
をまとい、足袋を履いている。
また、与勝半島の一部では白い下着の上に黒っぽい着物を着て裾をからげる、
遊行僧のような格好がみられる。
手踊り(ておどり(ティモーイ、テーモーヤー))
男性が太鼓を持って踊るのに対し、女性は何も持たずに踊る。が、地域に
よっては四つ竹(ヨツダケ、ユチダキ)や手拭(ティサジ)、扇など、道具を
使って踊る所もある。男性は太鼓打ちと同様、女性は袖をまくった絣を
着ることが多い。
地謡(じうたい(ジカタ、ジウテー))
一団の先頭又は最後尾で三線を弾き、唄う。主に青年会のOBや地域の
名人・老人であったりする。通常2-6人が地謡を務める。かつては一団とともに
歩くのが一般的であったが、現在では軽トラックの荷台等でマイクの前で演奏
するのが普通である。
京太郎、三郎(チョンダラー、サナジャー、サンダー、サンラー)
京太郎は元々は日本本土から渡来した念仏の芸であったが、古くからエイサー
の中の重要な要素であった。これを務める男性は顔面を白く塗り、勇壮な太鼓
打ち、優美な手踊りの脇で道化役を演じる。また時には隊列の整理役なども担う。
手踊りエイサー
手踊りエイサーは、踊り手の輪の中で歌い手が歌い、それに応えて踊り手が
囃しを歌う。三線が速弾きで伴奏して男女が踊るものと、手に持った小さな太鼓
だけで女性のみが踊るものがある。
使用される音楽
エイサーの際に演奏される曲は地域ごとにばらつきが見られるが、踊りやすさ・
地域性などの点から多くの地域で用いられる曲が存在する。かつては、家の
世帯主や妻を褒め称える門付き歌や、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」
という囃子を挟んで八五調の歌詞が続く念仏歌が主流だったが、現在では
念仏歌をまったく歌わない地域もある。
一般的に用いられる主な曲目には下記のようなものがある。恋愛を題材に
したものや、笑い話などの歌詞が多い。なお、1937年には法務局の検閲により、
戦時下にふさわしくないと判断されたものが禁止された。さらに、戦後も道徳観
の変化により歌詞を変えた例が見られた。
仲順流り(ちゅんじゅんながり)
久高マンジュウ主(くだかまんじゅうしゅー):妾を探す色男の話
苺小(いちゃびぐわー):惚れた女性(苺小)の村に通う男の話
テンヨー節
いちゅび小節(いちゅびぐわぁぶし)
海ヤカラー:難破したイギリス人と島の娘が遊び明かす話
固み節
唐船ドーイ(とうしんどーい)
花の風車(かじまやー)
この中で、唐船ドーイはクライマックスに用いられることが多い特にポピュラーな曲目である[10]。
また、最近ではTHE BOOMの『島唄』や日出克の『ミルクムナリ』、
BEGINの『島人ぬ宝』やりんけんバンドの曲など、新しい曲に独自の
踊りをつけた創作的なエイサーも多く踊られている。
踊り
太鼓エイサーの主体は太鼓と踊りである。地謡の演奏に合わせて太鼓を
叩いていく際に、特に締太鼓とバーランクーは身体をひねる、しゃがむ、飛ぶ、
回転するといったアクションを見せる。数十人の太鼓踊りの統一感、一斉の
躍動といった勇壮さが、エイサーの大きな魅力の一つとなっている。
手踊りは後方にあるのが一般的である。
一方、手踊りエイサーは琉球舞踊を基礎とした優美でたおやかな動きを
特徴とする。三線が伴奏する場合は歌に合わせて踊りの輪が回転の向きを
変え、全体的にややテンポが速い。太鼓伴奏の場合は、ゆるいテンポと速い
テンポの曲を交互に歌い、踊る。
エイサーを中心としたイベント
本来、エイサーは盆の送りの時期のみに踊られるものであるが、各地域の踊りを
一度に楽しもうと、これらを集めたイベントがいくつか開催されている。
主なイベントには下記のものがある。
全島エイサー祭り
毎年8月に沖縄市で開催され、30万人が訪れる、県内最大のエイサーイベント。主に中北部のエイサーが集まる。
青年ふるさとエイサー祭り
毎年8月-9月に北谷町で開催される。主に中南部のエイサーが集まる。かつては那覇市で行われていた。
一万人のエイサー踊り隊
毎年8月に開催される、那覇市の目抜き通りである国際通りに数千人のエイサーが集い踊る催し。
ウィキペディアより
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この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが
歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。
また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も
重視され、その金でため池を設けた例もある。
地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐわちもーい)、
念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる。
近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために
各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベント
となっている。
歴史
袋中が1603年から3年間首里に滞在して浄土宗を布教したのを契機に、
沖縄では王家や貴族の間を中心として念仏が広まった。18世紀中頃には、
托鉢や芸事を行なう「念仏にゃー」(にんぶちゃー)をお盆に招いて先祖の
供養を行なう風習が、首里の屋敷町などで存在していたという。
当時は現代のエイサーと形式が異なり、[門付歌と念仏歌だけで踊っていた。
明治以降になると、念仏の詠唱を村の若人が代行する形で庶民の間に
エイサーが普及していった。沖縄本島中北部から県内全域へ伝播して大衆化
する中で、民謡などを取り込む例も増えた。与那国島で始まったのは80年
ほど前と言われている。なお、戦前は太鼓を使う例は少なく、浴衣などの
普段着姿で手ぬぐいを頭に巻くというスタイルが主流であった。
念仏にゃーの存在は大正の終わりごろにはほぼ消滅している。
戦後、エイサーは沖縄市など本島中部を中心に大きくスタイルを変えた。
この地域は青年層の人口が多く、コザ市で1956年に始まった全島エイサー
コンクール(現・全島エイサー祭り)の影響もあって、観客を意識した派手な
衣装や太鼓のパフォーマンスなどが取り入れられた。一方で、名護市以北
の本島北部では伝統的な手踊りのエイサーも続けられている。
現在では、沖縄近辺の奄美諸島のほか全国的にエイサーが踊られている。
特に、1990年代以降は沖縄県出身者が中心となって多くのエイサー団体
が設立された[5]。また、アメリカ合衆国やフランスでも踊られた例がある。
語源
エイサーの由来は、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃子の一つ
「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」
から来ているとされる。また、「おもろさうし」に「ゑさおもろ」(「おもろ」は
歌謡の意)の語があり、これを由来とする説がある。
進行
エイサーは旧暦の盆の送り(ウークイ)の夜に行なわれる。
近年は盆の迎え(ウンケー)から数夜連続で行なわれることが多い。
旗頭を先頭とした一団は、地域の各戸を回り、それぞれの家の祖先の
霊が無事に後生(グソー、「あの世」の意)に戻れることを祈願することを述べ、
エイサーを踊る。踊りが一段落すると一団は酒や金を受け取って次の家へ
向かい、祈願と踊りを繰り返す。このようにして家々を回り歩くことを
道ジュネーと呼ぶ。
エイサーは町内会単位で結成されることが多いが、その境界では複数の
エイサーがかち合うことがある。この時には双方が一層声を高くし、踊りに
熱を入れる。これをエイサーオーラセーまたはエイサーガーエーと呼ぶ。
構成
エイサーは、地域の集落単位で若者を中心として一団(青年会)を結成
して行なわれる。
太鼓エイサー
太鼓エイサーは現在では全県的に盛んであるが、特に沖縄市や与勝半島
など中頭郡のものが有名である。伝統的なスタイルに比べてマスゲーム的
な要素が強いため、人数が多い方が見栄えがすることが多い。
一つの集団が数十人から時には100人を超えることもある。
旗頭(はたがしら)
エイサーの先頭に立ち、その地域の名を記した高さ3~4mの旗を持つ。
エイサーオーラセーに際しては、自らの一団を誇示するためにことさらに高く
旗を掲げたり、相手の旗とぶつけ合ったりする。
太鼓打ち(たいこうち(テークウチ))
エイサーで太鼓を持って踊るのは基本的に男性である。
盆踊りで櫓に置かれるような直径50cmほどの大太鼓(ウフデークー)、
鼓のような形をした直径30cmほどの締太鼓(シメデークー)、片面だけに
皮を張った直径20cmほどのパーランクーの3種がある。地域によっては
パーランクーのみ、大太鼓と締太鼓のみといった構成のこともある。
太鼓踊りは頭巾(マンサージ)を被って、一団で統一された打掛、羽織等を
着る。下半身は白ズボンに黒白ストライプの脚絆を付けたりニッカボッカー
をまとい、足袋を履いている。
また、与勝半島の一部では白い下着の上に黒っぽい着物を着て裾をからげる、
遊行僧のような格好がみられる。
手踊り(ておどり(ティモーイ、テーモーヤー))
男性が太鼓を持って踊るのに対し、女性は何も持たずに踊る。が、地域に
よっては四つ竹(ヨツダケ、ユチダキ)や手拭(ティサジ)、扇など、道具を
使って踊る所もある。男性は太鼓打ちと同様、女性は袖をまくった絣を
着ることが多い。
地謡(じうたい(ジカタ、ジウテー))
一団の先頭又は最後尾で三線を弾き、唄う。主に青年会のOBや地域の
名人・老人であったりする。通常2-6人が地謡を務める。かつては一団とともに
歩くのが一般的であったが、現在では軽トラックの荷台等でマイクの前で演奏
するのが普通である。
京太郎、三郎(チョンダラー、サナジャー、サンダー、サンラー)
京太郎は元々は日本本土から渡来した念仏の芸であったが、古くからエイサー
の中の重要な要素であった。これを務める男性は顔面を白く塗り、勇壮な太鼓
打ち、優美な手踊りの脇で道化役を演じる。また時には隊列の整理役なども担う。
手踊りエイサー
手踊りエイサーは、踊り手の輪の中で歌い手が歌い、それに応えて踊り手が
囃しを歌う。三線が速弾きで伴奏して男女が踊るものと、手に持った小さな太鼓
だけで女性のみが踊るものがある。
使用される音楽
エイサーの際に演奏される曲は地域ごとにばらつきが見られるが、踊りやすさ・
地域性などの点から多くの地域で用いられる曲が存在する。かつては、家の
世帯主や妻を褒め称える門付き歌や、「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」
という囃子を挟んで八五調の歌詞が続く念仏歌が主流だったが、現在では
念仏歌をまったく歌わない地域もある。
一般的に用いられる主な曲目には下記のようなものがある。恋愛を題材に
したものや、笑い話などの歌詞が多い。なお、1937年には法務局の検閲により、
戦時下にふさわしくないと判断されたものが禁止された。さらに、戦後も道徳観
の変化により歌詞を変えた例が見られた。
仲順流り(ちゅんじゅんながり)
久高マンジュウ主(くだかまんじゅうしゅー):妾を探す色男の話
苺小(いちゃびぐわー):惚れた女性(苺小)の村に通う男の話
テンヨー節
いちゅび小節(いちゅびぐわぁぶし)
海ヤカラー:難破したイギリス人と島の娘が遊び明かす話
固み節
唐船ドーイ(とうしんどーい)
花の風車(かじまやー)
この中で、唐船ドーイはクライマックスに用いられることが多い特にポピュラーな曲目である[10]。
また、最近ではTHE BOOMの『島唄』や日出克の『ミルクムナリ』、
BEGINの『島人ぬ宝』やりんけんバンドの曲など、新しい曲に独自の
踊りをつけた創作的なエイサーも多く踊られている。
踊り
太鼓エイサーの主体は太鼓と踊りである。地謡の演奏に合わせて太鼓を
叩いていく際に、特に締太鼓とバーランクーは身体をひねる、しゃがむ、飛ぶ、
回転するといったアクションを見せる。数十人の太鼓踊りの統一感、一斉の
躍動といった勇壮さが、エイサーの大きな魅力の一つとなっている。
手踊りは後方にあるのが一般的である。
一方、手踊りエイサーは琉球舞踊を基礎とした優美でたおやかな動きを
特徴とする。三線が伴奏する場合は歌に合わせて踊りの輪が回転の向きを
変え、全体的にややテンポが速い。太鼓伴奏の場合は、ゆるいテンポと速い
テンポの曲を交互に歌い、踊る。
エイサーを中心としたイベント
本来、エイサーは盆の送りの時期のみに踊られるものであるが、各地域の踊りを
一度に楽しもうと、これらを集めたイベントがいくつか開催されている。
主なイベントには下記のものがある。
全島エイサー祭り
毎年8月に沖縄市で開催され、30万人が訪れる、県内最大のエイサーイベント。主に中北部のエイサーが集まる。
青年ふるさとエイサー祭り
毎年8月-9月に北谷町で開催される。主に中南部のエイサーが集まる。かつては那覇市で行われていた。
一万人のエイサー踊り隊
毎年8月に開催される、那覇市の目抜き通りである国際通りに数千人のエイサーが集い踊る催し。
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タグ :エイサー
2009年04月01日
沖縄料理
沖縄料理(おきなわ りょうり)は、沖縄県の郷土料理のこと。
琉球料理(りゅうきゅう りょうり)とも呼ばれるが、この場合は
琉球王朝時代の宮廷料理を指すことが多い。
日本本土とは異なり、四季が不明瞭な気候であるため、本土
で一般にみられる食材(品種)を栽培出来ないことも多い一方、
特有の食材も見られ、使用される野菜類が本土とはやや異なり、
キノコ類の使用も少ない。また、香辛料は多用されず、海に囲
まれた多島の県であるが、魚料理があまり発達していないという
特徴を持つ。
食文化としては、地理的に近い鹿児島県の薩摩料理と台湾の
台湾料理の影響が強いが、歴史的経緯により、食材の流通
ルートや交易範囲が変化したことも大きく影響している。また、
気候的に稲作には適さない土地柄のため、戦前は甘藷を主食
とし、戦後しばらくは米軍配給の小麦粉に依存した食生活で
あったことも本土とは異なる点である。
明治以前の琉球王国時代には、支配した薩摩藩を初め、交易
範囲の中国・東南アジア・朝鮮などの影響を受けた。特に中国
からは医食同源の思想を受け、沖縄方言で食べ物を「クスイムン」
(薬物・くすりもの:「薬になる体にいいご飯」の意味)、「ヌチグスイ」
(命の薬)とも呼び、長寿の秘訣になっているという指摘もある。
豚肉と並び沖縄料理に欠かせない昆布は北海道など沖縄県以外
が産地である(後述)など、その歴史は素材に至るまで複雑なもの
となっている。
明治期の琉球処分後は、本土の一般的な食文化にも影響を受け、
沖縄そばなど、明治以降に誕生した料理も現在では広く沖縄料理
として認識されている。また移民や出稼ぎが奨励され、多くの県民
が日本本土のみならずブラジルやハワイ、フィリピンなどへと渡航
したことで、これら地域の料理が紹介され定着している例もみられる。
第二次世界大戦後は米軍の軍政下に置かれ、日本本土からの
食材の流通が途絶えたこともあり、アメリカから輸入された保存食
のポークランチョンミートや各種の缶詰料理も定番化した(アメリカ
併合後のハワイや第二次世界大戦後の韓国と類似する)。
また、こうした素材を利用した料理やタコライスなど独自の食文化も
花開いていった。
なお、本土では一般的に「東の豚肉、西の牛肉、九州の鶏肉」と
1人あたり消費量をもとに肉食の嗜好が言われるが、沖縄県では
豚肉の消費量が多い。また、アメリカの軍政下に置かれていたが、
パン・牛乳・チーズなどの消費量は少ない。
豚肉料理
沖縄料理の主眼とされるのは、豚肉料理である。中華料理(台湾料理など)の影響を受け発展したため、中国と同様「ひづめと鳴き声以外は全部食べる」と言われるほど、一頭の豚を文字通り頭から足先まで料理に使用する。多くは中華料理と同じであるが、中華料理より香辛料(八角など)の使用が少ないところに特徴がある。
有名なのは、豚の角煮であるラフテーやあばら骨の部分を煮込んだソーキであるが、耳の部分を切り取り、毛を剃ってその軟骨部分を食べるミミガーや、同様に頭部の皮を利用したチラガーなども有名である。基本的に、豚肉を料理する際にはよく煮込んで、また料理によってはゆでこぼしてから用いる。このため、余分な脂肪が抜け出て健康的な料理になると言われている。例えば、豚足の部分を、毛を処理してからじっくりと煮込んだティビチ(テビチ)は、脂分が抜け出てコラーゲンが豊富に残留しているため、肌の美容に良いとされている。また、内臓は中身と呼ばれ、イリチーと呼ばれる炒め煮にされるほか、様々な内臓をコンニャクやコンブとともに入れた中身汁と呼ばれる吸い物などに利用されている。豚肉のかたまりを塩漬けにしたスーチカー、甘い味噌と脂身を合わせて作るあんだんすー(油味噌)、脂身を炒って乾燥させたあんだかしー(油かす)などの保存性のある加工品にしたり、本来は廃棄物である背骨のスープの骨汁や、血液も固まりの状態をイリチーにしたチーイリチーとして食べるなど、豚肉料理のバリエーションは非常に多彩である。
山羊料理
肉料理にあっては、ヒージャー(ヤギ)も特筆すべき動物である。山羊料理の専門店が存在するほか、祝い事の際などに振る舞われることが多く、現在でも農家では「自家用」にヤギを買っている家庭が多い。乳は飲まず、主な料理法は生の刺身と汁物であるが、いずれもくさみが非常に強く、ショウガやフーチバー(ヨモギ)でくさみを消して食べる。山羊料理は滋養強壮に良いともされており、ヒージャーグスイ(「グスイ」は「薬」の意)という言葉も存在する。
しかし高血圧の人や妊娠中や病気療養中の人が食べると症状が悪化することもあり、また体質により失神や鼻血などを起こすこともあるので注意が必要である。
野菜料理
チャンプルー(野菜炒め)が有名である。台湾料理などの中華料理の野菜炒めと比べ、チャンプルーは香辛料が少ない所に特徴がある。使われる野菜は一般的なタマナ(キャベツ)、ニンジン、マーミナ(モヤシ)などの他にゴーヤー、パパイヤなど、台湾や東南アジアの同様な料理と似ているが、多くの場合沖縄独特の固い豆腐が加えられる。大根などの野菜と豚肉やティビチ、昆布などを炊き合わせた煮つけも非常にポピュラーな料理であり、食堂のメニューで単に「おかず」と記載されていればこれを意味することも多い。ナーベーラー(ヘチマ)を食用にするのも沖縄県から東南アジアにかけての特徴であり、青い時期に収穫し、豆腐などとともに味噌煮にするナーベーラーンブシーなどの料理がある。タロイモの一種であるターンム(田芋)も伝統的な食材であり、甘く煮た田楽や、豚肉や野菜と一緒にペースト状にしたドゥルワカシーの材料として用いられる。他にも煮物や汁の材料としてシブイ(冬瓜)やモーイー(毛瓜)がよく使われるほか、島らっきょう、シマナ(カラシナ)、ンジャナ(ニガナ)、ハンダマ(水前寺菜)、サクナ(長命草)、ウリズン(シカクマメ)、アロエ、オオタニワタリなど、沖縄ならではの食材や、台湾から東南アジアと共通であるものも見られる。反面、沖縄では採れない本土の野菜は輸送費がかかるために高価であり、また気候のせいもあって、火を通さない生野菜が一般家庭の食卓に上ることはあまり多くない。
豆腐・麩料理
前述のように炒め物のチャンプルーに使うしっかりした島豆腐がある一方で、おぼろ豆腐よりも軟らかい「ゆし豆腐」(寄せ豆腐)もよく食べられている。豆腐を紅麹と泡盛に漬け込んだ「豆腐よう」も沖縄名産として名高い。また、大豆ではなく、落花生を使った「ジーマーミ豆腐」(地豆豆腐)も風味豊かな郷土食である。
沖縄県では小麦の栽培はされていないが、小麦粉から作る麩を使った料理も多く、宮廷料理から広がったものと思われる。車麩に卵を吸わせて炒めた、麩チャンプルー、麩いりちーは家庭の惣菜としてよく食べられている。
魚介料理
沖縄県周辺で獲れる魚は、マグロやカツオなど一部の例外を除いては、内地では見かけない亜熱帯独特のものが大半を占める。グルクン(タカサゴ)、ミーバイ(ハタ)、イラブチャー(ブダイの一種)など一般に脂質が少なく淡白な魚が多いため、バター焼きや唐揚げなど油を用いた料理や、野菜などと一緒に煮込んだ味噌汁、素材の風味を生かして塩だけで蒸し煮にしたマース煮(「マース」は「塩」の意)などの料理法で食されている。干したイラブー(エラブウミヘビ)を煮込んで汁にしたものや、イカを墨ごと汁物にしたイカの墨汁(すみじる)、アバサー(ハリセンボン)汁、夜光貝やシャコ貝の料理なども、独特のものである。魚の加工食品としては、スク(アイゴの稚魚)を塩漬けにしたスクガラスや、薩摩揚げの原型ともされるチキアギ(付け揚げ これを「カマボコ」と呼ぶこともある)などがある。また刺身を食べる際に酢味噌や酢醤油を用いることが多いが、これは魚の傷みやすい南国ならではの知恵の名残であると言われている。
なお、漁港の数は高知県と並び88港で国内13位(2008年4月1日現在)。特定第3種漁港はなく、第3種漁港が1港(糸満漁港)、第2種漁港が4港で、残りの83港が沿岸漁業や離島の漁港である。すなわち、他県で水揚げされた魚介類を流通により導入しないと、消費される魚種が近海物に偏る傾向があり、また逆に近海物の魚介料理が廃れずに残っている要因にもなっている。
海藻・昆布料理
海草を用いた料理も盛んで、スヌイ(モズク)は酢の物にし、アーサ(アオサ)は汁に入れるほか、いずれも天ぷらの具にしたりする。また、海ぶどうも独特のものとして、土産物などとして珍重されている。また、クーブ(コンブ)を利用した料理が盛んで、だしに使うほか、締め昆布を煮物や炒め物に用いたり、千切りにしてクーブイリチーと呼ばれるイリチーになどにする。沖縄県のコンブの消費量は全国でも一、二を争う。昆布が生産されないのに消費量が多いのは、江戸時代、日本本土と中国との交易の中継点として沖縄県地域が利用されていた頃、日本本土から中国への輸出品として沖縄県地域に運ばれた北海道産のコンブが用いられるようになったからだとされている。
米料理
戦前までは、那覇や首里といった都市部を除く地域では芋や雑穀などを主食としていたために、米を用いた料理はあまり発達しなかった。代表的なジューシー(雑炊)はフーチバー(ヨモギ)などの野菜や野草、チンヌク(サトイモ)、ヒジキ、豚肉などを米と一緒に炊き込んだもので、おじや状のものをポロポロジューシーあるいはアワラ(柔(あわ)ら)ジューシー、炊き込みご飯状のものはボロボロジューシーあるいはクファ(強(こわ)い=固いの意)ジューシーと呼び分けることもある。白米が貴重品であった時代の名残として、玄米に豆や雑穀を炊き込んだご飯もポピュラーであり、食堂などでは白飯とチョイスできることも多い。こうした食事はもともとは貧しさに由来するものであるが、現在では健康食として見直されてきている。 近年誕生した米料理としては、タコスの具材をご飯の上に乗せたタコライスが有名である。また、野菜炒めを卵とじにしてご飯の上にかけたものをチャンポンと呼称するほか、カツ丼にニンジンなど多種類の野菜が入るなど、名称は同じでも本土とは違った形の料理となっていることも珍しくない。
大東諸島では八丈島からの移住者によりもたらされた文化があり、独特の大東寿司が名物になっている。
重箱料理
十六日・彼岸・清明祭・屋敷御願などに使われる沖縄独特のお供え料理。地域や門中、節目により多少の違いがあるが、一般的には四段重ねで、二段が白餅、残り二段には御三味(豚三枚肉、かまぼこ、揚げ豆腐、煮昆布、天ぷら、ゴボウ等)が並べて詰められる。
沖縄そば
詳細は沖縄そばを参照
沖縄そば(方言風に「すば」とも)は、中華料理に由来する麺料理が、本土におけるラーメン同様、明治以降に独自の地域的変化を遂げたものと考えられており、沖縄県では「そば屋」と言えば沖縄そば屋を指すほどポピュラーなものになっている。麺は小麦粉をガジュマルの灰汁(またはかんすい)で打ったもので、ソバ粉は用いない。これをブタやカツオ、コンブのだしで取ったスープで食べる。具はチギアギや小口ネギ、豚の三枚肉などであるが、ソーキを醤油とみりんで味付けしたものを乗せたソーキそばやティビチそば、トッピングとしてのアーサやフーチバーなどのバリエーションもある。また、宮古諸島や八重山諸島のそばはそれぞれ違いがあり、「宮古そば」「八重山そば」として親しまれている。なお調味料としては、明治以降に発展した「コーレーグース」(泡盛にトウガラシを漬け込んだもの)というものが用いられることが多い。
沖縄そばの麺は焼きそばとしても用いられており、ケチャップ味、ソース味、しょうゆ味、塩味などさまざまなバリエーションが見られる。
菓子
食事に供される料理ではないが、サーターアンダーギー(砂糖てんぷら)やちんすこうといった独特の菓子も有名である。サーターアンダーギーはボリュームがあるため、軽食としても食べられる。ちんすこうは元々宮廷に縁の菓子であるため、贈答品などにも利用される。どちらも中国などから伝来した菓子の変形と考えられるが、固有の食文化として定着している。他にちまきに似た餅菓子のムーチー、慶事に用いる松風、ぜんざいの一種であるあまがしや、三月菓子、タンナファンクルー、ちいるんこう、花ボウルなど独自の焼菓子も多く存在する。また、饅頭類も多い。とくに山城饅頭・のー饅頭・天妃前饅頭は、那覇市の名物である。
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琉球料理(りゅうきゅう りょうり)とも呼ばれるが、この場合は
琉球王朝時代の宮廷料理を指すことが多い。
日本本土とは異なり、四季が不明瞭な気候であるため、本土
で一般にみられる食材(品種)を栽培出来ないことも多い一方、
特有の食材も見られ、使用される野菜類が本土とはやや異なり、
キノコ類の使用も少ない。また、香辛料は多用されず、海に囲
まれた多島の県であるが、魚料理があまり発達していないという
特徴を持つ。
食文化としては、地理的に近い鹿児島県の薩摩料理と台湾の
台湾料理の影響が強いが、歴史的経緯により、食材の流通
ルートや交易範囲が変化したことも大きく影響している。また、
気候的に稲作には適さない土地柄のため、戦前は甘藷を主食
とし、戦後しばらくは米軍配給の小麦粉に依存した食生活で
あったことも本土とは異なる点である。
明治以前の琉球王国時代には、支配した薩摩藩を初め、交易
範囲の中国・東南アジア・朝鮮などの影響を受けた。特に中国
からは医食同源の思想を受け、沖縄方言で食べ物を「クスイムン」
(薬物・くすりもの:「薬になる体にいいご飯」の意味)、「ヌチグスイ」
(命の薬)とも呼び、長寿の秘訣になっているという指摘もある。
豚肉と並び沖縄料理に欠かせない昆布は北海道など沖縄県以外
が産地である(後述)など、その歴史は素材に至るまで複雑なもの
となっている。
明治期の琉球処分後は、本土の一般的な食文化にも影響を受け、
沖縄そばなど、明治以降に誕生した料理も現在では広く沖縄料理
として認識されている。また移民や出稼ぎが奨励され、多くの県民
が日本本土のみならずブラジルやハワイ、フィリピンなどへと渡航
したことで、これら地域の料理が紹介され定着している例もみられる。
第二次世界大戦後は米軍の軍政下に置かれ、日本本土からの
食材の流通が途絶えたこともあり、アメリカから輸入された保存食
のポークランチョンミートや各種の缶詰料理も定番化した(アメリカ
併合後のハワイや第二次世界大戦後の韓国と類似する)。
また、こうした素材を利用した料理やタコライスなど独自の食文化も
花開いていった。
なお、本土では一般的に「東の豚肉、西の牛肉、九州の鶏肉」と
1人あたり消費量をもとに肉食の嗜好が言われるが、沖縄県では
豚肉の消費量が多い。また、アメリカの軍政下に置かれていたが、
パン・牛乳・チーズなどの消費量は少ない。
豚肉料理
沖縄料理の主眼とされるのは、豚肉料理である。中華料理(台湾料理など)の影響を受け発展したため、中国と同様「ひづめと鳴き声以外は全部食べる」と言われるほど、一頭の豚を文字通り頭から足先まで料理に使用する。多くは中華料理と同じであるが、中華料理より香辛料(八角など)の使用が少ないところに特徴がある。
有名なのは、豚の角煮であるラフテーやあばら骨の部分を煮込んだソーキであるが、耳の部分を切り取り、毛を剃ってその軟骨部分を食べるミミガーや、同様に頭部の皮を利用したチラガーなども有名である。基本的に、豚肉を料理する際にはよく煮込んで、また料理によってはゆでこぼしてから用いる。このため、余分な脂肪が抜け出て健康的な料理になると言われている。例えば、豚足の部分を、毛を処理してからじっくりと煮込んだティビチ(テビチ)は、脂分が抜け出てコラーゲンが豊富に残留しているため、肌の美容に良いとされている。また、内臓は中身と呼ばれ、イリチーと呼ばれる炒め煮にされるほか、様々な内臓をコンニャクやコンブとともに入れた中身汁と呼ばれる吸い物などに利用されている。豚肉のかたまりを塩漬けにしたスーチカー、甘い味噌と脂身を合わせて作るあんだんすー(油味噌)、脂身を炒って乾燥させたあんだかしー(油かす)などの保存性のある加工品にしたり、本来は廃棄物である背骨のスープの骨汁や、血液も固まりの状態をイリチーにしたチーイリチーとして食べるなど、豚肉料理のバリエーションは非常に多彩である。
山羊料理
肉料理にあっては、ヒージャー(ヤギ)も特筆すべき動物である。山羊料理の専門店が存在するほか、祝い事の際などに振る舞われることが多く、現在でも農家では「自家用」にヤギを買っている家庭が多い。乳は飲まず、主な料理法は生の刺身と汁物であるが、いずれもくさみが非常に強く、ショウガやフーチバー(ヨモギ)でくさみを消して食べる。山羊料理は滋養強壮に良いともされており、ヒージャーグスイ(「グスイ」は「薬」の意)という言葉も存在する。
しかし高血圧の人や妊娠中や病気療養中の人が食べると症状が悪化することもあり、また体質により失神や鼻血などを起こすこともあるので注意が必要である。
野菜料理
チャンプルー(野菜炒め)が有名である。台湾料理などの中華料理の野菜炒めと比べ、チャンプルーは香辛料が少ない所に特徴がある。使われる野菜は一般的なタマナ(キャベツ)、ニンジン、マーミナ(モヤシ)などの他にゴーヤー、パパイヤなど、台湾や東南アジアの同様な料理と似ているが、多くの場合沖縄独特の固い豆腐が加えられる。大根などの野菜と豚肉やティビチ、昆布などを炊き合わせた煮つけも非常にポピュラーな料理であり、食堂のメニューで単に「おかず」と記載されていればこれを意味することも多い。ナーベーラー(ヘチマ)を食用にするのも沖縄県から東南アジアにかけての特徴であり、青い時期に収穫し、豆腐などとともに味噌煮にするナーベーラーンブシーなどの料理がある。タロイモの一種であるターンム(田芋)も伝統的な食材であり、甘く煮た田楽や、豚肉や野菜と一緒にペースト状にしたドゥルワカシーの材料として用いられる。他にも煮物や汁の材料としてシブイ(冬瓜)やモーイー(毛瓜)がよく使われるほか、島らっきょう、シマナ(カラシナ)、ンジャナ(ニガナ)、ハンダマ(水前寺菜)、サクナ(長命草)、ウリズン(シカクマメ)、アロエ、オオタニワタリなど、沖縄ならではの食材や、台湾から東南アジアと共通であるものも見られる。反面、沖縄では採れない本土の野菜は輸送費がかかるために高価であり、また気候のせいもあって、火を通さない生野菜が一般家庭の食卓に上ることはあまり多くない。
豆腐・麩料理
前述のように炒め物のチャンプルーに使うしっかりした島豆腐がある一方で、おぼろ豆腐よりも軟らかい「ゆし豆腐」(寄せ豆腐)もよく食べられている。豆腐を紅麹と泡盛に漬け込んだ「豆腐よう」も沖縄名産として名高い。また、大豆ではなく、落花生を使った「ジーマーミ豆腐」(地豆豆腐)も風味豊かな郷土食である。
沖縄県では小麦の栽培はされていないが、小麦粉から作る麩を使った料理も多く、宮廷料理から広がったものと思われる。車麩に卵を吸わせて炒めた、麩チャンプルー、麩いりちーは家庭の惣菜としてよく食べられている。
魚介料理
沖縄県周辺で獲れる魚は、マグロやカツオなど一部の例外を除いては、内地では見かけない亜熱帯独特のものが大半を占める。グルクン(タカサゴ)、ミーバイ(ハタ)、イラブチャー(ブダイの一種)など一般に脂質が少なく淡白な魚が多いため、バター焼きや唐揚げなど油を用いた料理や、野菜などと一緒に煮込んだ味噌汁、素材の風味を生かして塩だけで蒸し煮にしたマース煮(「マース」は「塩」の意)などの料理法で食されている。干したイラブー(エラブウミヘビ)を煮込んで汁にしたものや、イカを墨ごと汁物にしたイカの墨汁(すみじる)、アバサー(ハリセンボン)汁、夜光貝やシャコ貝の料理なども、独特のものである。魚の加工食品としては、スク(アイゴの稚魚)を塩漬けにしたスクガラスや、薩摩揚げの原型ともされるチキアギ(付け揚げ これを「カマボコ」と呼ぶこともある)などがある。また刺身を食べる際に酢味噌や酢醤油を用いることが多いが、これは魚の傷みやすい南国ならではの知恵の名残であると言われている。
なお、漁港の数は高知県と並び88港で国内13位(2008年4月1日現在)。特定第3種漁港はなく、第3種漁港が1港(糸満漁港)、第2種漁港が4港で、残りの83港が沿岸漁業や離島の漁港である。すなわち、他県で水揚げされた魚介類を流通により導入しないと、消費される魚種が近海物に偏る傾向があり、また逆に近海物の魚介料理が廃れずに残っている要因にもなっている。
海藻・昆布料理
海草を用いた料理も盛んで、スヌイ(モズク)は酢の物にし、アーサ(アオサ)は汁に入れるほか、いずれも天ぷらの具にしたりする。また、海ぶどうも独特のものとして、土産物などとして珍重されている。また、クーブ(コンブ)を利用した料理が盛んで、だしに使うほか、締め昆布を煮物や炒め物に用いたり、千切りにしてクーブイリチーと呼ばれるイリチーになどにする。沖縄県のコンブの消費量は全国でも一、二を争う。昆布が生産されないのに消費量が多いのは、江戸時代、日本本土と中国との交易の中継点として沖縄県地域が利用されていた頃、日本本土から中国への輸出品として沖縄県地域に運ばれた北海道産のコンブが用いられるようになったからだとされている。
米料理
戦前までは、那覇や首里といった都市部を除く地域では芋や雑穀などを主食としていたために、米を用いた料理はあまり発達しなかった。代表的なジューシー(雑炊)はフーチバー(ヨモギ)などの野菜や野草、チンヌク(サトイモ)、ヒジキ、豚肉などを米と一緒に炊き込んだもので、おじや状のものをポロポロジューシーあるいはアワラ(柔(あわ)ら)ジューシー、炊き込みご飯状のものはボロボロジューシーあるいはクファ(強(こわ)い=固いの意)ジューシーと呼び分けることもある。白米が貴重品であった時代の名残として、玄米に豆や雑穀を炊き込んだご飯もポピュラーであり、食堂などでは白飯とチョイスできることも多い。こうした食事はもともとは貧しさに由来するものであるが、現在では健康食として見直されてきている。 近年誕生した米料理としては、タコスの具材をご飯の上に乗せたタコライスが有名である。また、野菜炒めを卵とじにしてご飯の上にかけたものをチャンポンと呼称するほか、カツ丼にニンジンなど多種類の野菜が入るなど、名称は同じでも本土とは違った形の料理となっていることも珍しくない。
大東諸島では八丈島からの移住者によりもたらされた文化があり、独特の大東寿司が名物になっている。
重箱料理
十六日・彼岸・清明祭・屋敷御願などに使われる沖縄独特のお供え料理。地域や門中、節目により多少の違いがあるが、一般的には四段重ねで、二段が白餅、残り二段には御三味(豚三枚肉、かまぼこ、揚げ豆腐、煮昆布、天ぷら、ゴボウ等)が並べて詰められる。
沖縄そば
詳細は沖縄そばを参照
沖縄そば(方言風に「すば」とも)は、中華料理に由来する麺料理が、本土におけるラーメン同様、明治以降に独自の地域的変化を遂げたものと考えられており、沖縄県では「そば屋」と言えば沖縄そば屋を指すほどポピュラーなものになっている。麺は小麦粉をガジュマルの灰汁(またはかんすい)で打ったもので、ソバ粉は用いない。これをブタやカツオ、コンブのだしで取ったスープで食べる。具はチギアギや小口ネギ、豚の三枚肉などであるが、ソーキを醤油とみりんで味付けしたものを乗せたソーキそばやティビチそば、トッピングとしてのアーサやフーチバーなどのバリエーションもある。また、宮古諸島や八重山諸島のそばはそれぞれ違いがあり、「宮古そば」「八重山そば」として親しまれている。なお調味料としては、明治以降に発展した「コーレーグース」(泡盛にトウガラシを漬け込んだもの)というものが用いられることが多い。
沖縄そばの麺は焼きそばとしても用いられており、ケチャップ味、ソース味、しょうゆ味、塩味などさまざまなバリエーションが見られる。
菓子
食事に供される料理ではないが、サーターアンダーギー(砂糖てんぷら)やちんすこうといった独特の菓子も有名である。サーターアンダーギーはボリュームがあるため、軽食としても食べられる。ちんすこうは元々宮廷に縁の菓子であるため、贈答品などにも利用される。どちらも中国などから伝来した菓子の変形と考えられるが、固有の食文化として定着している。他にちまきに似た餅菓子のムーチー、慶事に用いる松風、ぜんざいの一種であるあまがしや、三月菓子、タンナファンクルー、ちいるんこう、花ボウルなど独自の焼菓子も多く存在する。また、饅頭類も多い。とくに山城饅頭・のー饅頭・天妃前饅頭は、那覇市の名物である。
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タグ :沖縄料理







